2015/07/12

対話編 ~自由自在③~




「あぢー、蒸しあぢー。
最近、ものすごく夏だね~」





「ふう、確かに暑いな。
よし、サウナでも行くか」





「うん、行くっ・・・・って行くか!逝くわ!」





「サウナ素人め。その後にビールを飲んでみろ。
喉に天使が舞い降りてくるぞ?」





「う。。。。ゴク」





「体は正直だのー」






「・・・・いーよ、じゃあ行こう」





「よし。ではさっさと続きを書きあげるか♪」














「世阿弥は継承と創造という相反する
概念を守破離によって統合したんだよね」




「そう、論者はイノベーション(革新)と
メンテナンス(保守)のどちらかを選ぶが、
僕はどちらも必要だと思うね」




「そういったものって、他にもあるの?」




「文と武もそうだ。対立二項を回帰すれば、
必ず共通するものを発見できる。これもまた、
根底にある同一構造が分岐しているのだ」




「探してみると、結構ありそうだね」




「一見矛盾しているけど、それを支える
同一の概念。さっきの例でいえば、
文武両道というより、文武一道なのだ」




「精神から見つめると
性別や人種の違いはないんだね」




「うーん、半分正解だから50点」



「きびし」




☞☞



「そういえば、ベネディクトが日本を
菊と刀だって言ったのはどういう理由なの?」




「彼女は西洋文化の自律的な罪の文化と、
日本文化の他律的な恥の文化とを類型化したのだ」



「でた、ホント、外人さんって分析好きだね。
四象限もそうだけど、分けたがる癖がある」




「まあね。ただ、それだけじゃない。
美しさの象徴である菊と、力や戦いの象徴である刀を
この国は同時に持っていると感じてたようだ」




「矛盾したものが同一した精神が
日本人にはある、って言ってるんだね」




「価値観や文化の優劣など比較するもんじゃないが、
捉え方としては素晴らしいと思うな」



「僕らには近すぎて見えないものもあるしね。
優劣抜きなら、文化圏外から見てもらうのもいいかも」



「だな。世間と自分の境界線を発見することが、
両立だからね。場所中心の同調圧力や
世間の空気感だって、その位置なら離れることができる」





「離れる場所がどんなものか知らないと
そもそも離れようがない、ってことだ」



☞☞



「どっちも不完全だと分かれば、
必然的に統合へと向かうだろう」





「禅も座るだけじゃなくて
立ち上がることでワンセットだもんね」




「そう、これを「禅定・出定」という。
有より出て無に入る、逆もしかり」




「うんうん」




「故にアートマンとブラフマンも
コインの関係なのだろう。しかし
禅にはその統合から先があるのだ」




「・・・・・・・・・・」





「だからさっきは50点なのだ」




・・・・・





「ん。スマン言い方が悪かった」






「違う、それを書き出したら止まらないでしょ。
だからスルー、離れたの」





「なるほど、まさに出定したわけだ」











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