露と落ち露と消えにし我が身かな
浪花の事は夢のまた夢
これは、豊臣秀吉が死ぬ間際に詠んだ句と言われる。
一代で最高権力を手にした者にしては、
ずいぶんと悲しい辞世の句である。
栄華を極めた結果、何が見えたのだろうか。
成長を繰り返した結果、どうなったのであろうか。
秀吉ほど「急速に」自己を変質させた人物は
今後出てくることはないだろう。
農民である「木下藤吉郎」が、織田に仕え、
それが「秀吉」となることで自己の質はどんどん変わっていく。
毛利攻めに向かう時は「羽柴」となり、
最終的に天下を取った時には、
朝廷より「豊臣」の姓を授かった。
遂には関白太政大臣、「太閣」となる。
この最終的に変質した自己を、
秀吉は「朝霧のように儚い」と言うのだ。
前置きが長くなりましたが、
第二回目の始まりです。
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さて、組織の規模によって、
トップと現場との距離はどんどん遠くなってしまう。
また、構成しているのは人であるはずなのに、
やがて人ではなく、「機関」として構築される。
機関とは、言わば制度を作るシステムである。
こうなってしまうと、相互の人間的な距離感はない。
これは規模の拡大による
トレードオフの原理である。
一つの組織原理(一人の経営者)が
構成し、行動できる限界は、一説によれば
数十人~多くても200名が上限だと言われる。
我々が短期的に記憶できる数字は、
7ケタ程度だと言われるが、それと同じである。
つまり、全員の顔や気心が分かるのは上記が
限界であり、それ以上増えれば目が届かないのだ。
故に「管理機関」を作る、
つまり組織を把握する為だけの機関である。
そして、これが千人を超えれば、
管理機関を管理する組織が必要となり、
ここあたりから「規制や標準化」が生まれるのだ。
20店舗程度のアーリーステージである
FC本部が、規制と標準化を作りたがるが、
これは大間違い。
小さな段階では、そんなシステムは不要なのだ。
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組織は「構造」と「志向性」、
この2つによって作り出されている。
体質と気質と言ってもよい。
その構造にロバスト性を持たるのが
リゾーム派生式であるが、多くの組織は
一つの構造だけしかない。
そこにこそ、最大の弱点がある。
例えば、拡大志向を持った企業の内部構造は
成長が続いている間は非常に大きな力を生み出す。
それを生み出すのが「外部報酬」であって、
今も昔もそれは変わらず、収入と肩書き(地位)である。
戦国時代においては、合戦で手柄を立てれば、
領土を増やしてもらえる、という動機で家来を鼓舞させた。
昔の経済成長時代でも、仕事を頑張れば
その分、役職が上がり、収入が増えた。
これが強さ(成長)の源泉である。
言ってみれば、その源泉は「経営資源」に帰結する。
源泉は枯れることも、変わる事もない、
という前提ありきである。
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豊臣秀吉はこのやり方で
ベクトルを強め、どんどん拡大していったのだが、
当然、その勢いは永遠ではない。
九州を征服し、小田原の陣が完了し、
各地の様々な動乱を治め、遂に秀吉は全国を征服したのだが、
その時点でゲーム理論で言う
ゼロサムになったのだ。
ゼロサムとは損失と利得の総和がゼロ、
オセロで全てを埋め尽くした状態である。
つまり、各武士たちからすれば
全国にはもう領地を広げる余地がない、
人生は映画やゲームではないので、
これでハッピーエンドでは終われない。
武士たちは領土拡大の為に
雇い入れた家来が大勢いるし、
さらにその家来たちは将来の拡大を前提に、
人生設計を立てているのだ。
これはまさに現代と同じ状態である。
組織内には「永続的な成長原理」が
志向性となって、歯止めが利かなかったのだ。
長くなったので続きます。
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