栄枯盛衰の組織論、
今回で最後となります。
さて、長い事書いて気付いたのだが、
この国には有名な「組織論」が少ない。
今日、組織論だと言われているものは
組織の「管理制御」といった合理的統制、
もしくは個人に特化した
「一時的活性化手段」である。
マキャベリの君主論しかり、 フローしかり、
マグレガーのXY理論、バーナードにドラッガー
(ゼークトは論外)など、
大半が西洋的・軍隊的マネジメントであるが、
編集なくしてこの国への移植は不可能、
だからこそ、実践的組織論は
今後必須の学問だと言えるだろう。
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今回は歴史を振り返りながら
組織の興隆と衰退について考察したのだが、
組織論の本来の目的とは
端的に言えば「良い企業」を作ることである。
これは誰も異論はないだろう。
しかし、多くの組織が自らを
良い企業だと、自信をもって言えない。
なぜなら、その「良さ」の定義が
はっきりしていないからだ。
規模が多ければ良い企業か?
利益が高ければ良い企業か?
例えば、「大きい組織」が良いとしよう、
その大きさとは、従業員の数、資本、シェアや売上などだが、
仮に「ヒト」を増やせば、その分
「バショ」も広がり、「キョリ」も離れる。
そうなれば、全体の情報を
共有するのが困難になってしまう。
つまり「量」は増えるが「質」が下がる。
(管理という概念において)
では逆に、規模を広げず「質」を高め、
帰属意識を高めれば、 どうなるだろう。
質を高めるということは、組織そのものが
閉鎖的になる、ということである。
意図的な「情報の遮断」である以上、
「外部環境への適応」ができなくなってしまうのだ。
例えば戦時中の日本軍は
過剰な閉鎖的意識によって多くの死傷者を出した。
探知装置があるにも関わらず、
白兵銃剣の戦術を執拗に繰り返していたのだ。
そこに臨機応変がなかった。
つまり、そういうことだろう。
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unreveは剛柔併せ持つハイブリッド(超克)な
組織、いわゆる「最適化」を提唱している。
開くときもあれば閉じるときもあり、
堅く集中することもあれば、
分散し、広がることだってある。
つまり体制ではなく「状態」の構築、
それは対話と場の自発的な参加から始まる。
構造はその後、勝手に出来あがるのだ。
これ、すなわち自然派生である。
現在、フットワークの軽さが求められている。
社会の主観は時代と共に変化するもの、
例えば、豪華な柄が入った服が流行の時、
シンプルな服は物足りなく、貧相に見えるだろう。
しかし、時代が変わってシンプルな服が
流行になれば、柄の入った服は逆に野暮ったく見える。
そんな「社会主観が変わった際」、
即座に対応できる状態保持に加え、
いくら環境が変化しても
「変わらない理念」を持つことが大事だ。
つまり「間」にこそ、閾値(しきいち)があるのだ。
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成長志向性を否定するのは難しい、
下手すれば、社内のモチベーション低下
だけではなく、規律や秩序が崩壊する可能性だってある。
故に、倫理的な目標によって、
内部成長性を限りなく高める必要がある。
鮮明な理念はその為にあるのだ。
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