蟹座は直感と感性と母性の星座だと毎回言われる。
なるほど、確かに僕は論理より感覚で決定するタイプだ。
暇人な僕は、歴史上の人物で
一体どんな人物がいるのか調べてみた。
なるほど、ヘルマンヘッセやガウディがいる。
ルソーにサンテグジュベリ、ルーベンスがいる。
二宮尊徳にヘミング・ウェイ、カフカにジャン・コクトー、
極めつけは、ジャンバッティスタ・ヴィーコである。
改めて驚いた、
見れば全員、僕が好きな人ばかりではないか。
ということで(?)
今日は蟹座の偉人、ヴィーコについての小話でも(笑)
- ヴィーコ - 学問の起源へ (中公新書)/中央公論新社
- ヴィーコについて書くと、テンションがあがります。
さて、ヴィーコはスピノザ同様、
反デカルト主義である(もともとはデカルト主義)
数学信仰であるデカルト主義者の
ヴィーゴは、必要なのは「認識可能なものと
不可能なものを区別する原理である」という立場を取った。
しかし、これは排除目的の批判ではない、
ヴィーコはそれらを統合させようとしたのだ。
つまり「閉じられたテキスト」だけではなく、
「開かれ、編集されるテキスト」も必要、と言う事である。
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当時はデカルトの教育手法がメインであった。
それは幾何学を取りれた「クリティカ」、
それは会話を削ぎ落としたシンプルなもの。
合理的でスマート、まさに現代の「システム」だ。
反面ヴィーコが取り入れたのは「トピカ」、
「発見の知」と言われ、共通する「感覚」への注目である。
見れば、デカルトとヴィーコは「相補的」であって、
対立ではなく「共存」しているのが分かるだろう。
完全なる知の秩序を目指したデカルト、
そして、その「裏面」であるヴィーコ、
そんな矛盾が裏表として同一化している。
まるでルパンと銭形警部である(笑)
ヴィーコは自身の学問体系「トピカ」を絶対化していない。
「どちらの方法も欠点を持つ」、
ヴィーコはこう切り出した。
トピカは虚偽を捕らえ
逆にクリティカは真を捉えようとしない。
つまりどちらも「真理っぽいもの」に近づくことしか
出来ないのであって「そのもの」を手に入れる事はできないのだ。
☞ ☞ ☞
あらゆるものは相対、逆を言えば「相補」、
現代は理論(科学)へバランスが傾きすぎている
僕が世間に問いたいのは、この「偏在」している事実だ。
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遊びに来てしまいました~
とても楽しそうなブログだと思いました☆
また、来ます( ゚∀゚)ノ