2012/07/10

かに座のヴィーコ



蟹座は直感と感性と母性の星座だと毎回言われる。
なるほど、確かに僕は論理より感覚で決定するタイプだ。


暇人な僕は、歴史上の人物で
一体どんな人物がいるのか調べてみた。



なるほど、ヘルマンヘッセやガウディがいる。
ルソーにサンテグジュベリ、ルーベンスがいる。


二宮尊徳にヘミング・ウェイ、カフカにジャン・コクトー、
極めつけは、ジャンバッティスタ・ヴィーコである。



改めて驚いた、
見れば全員、僕が好きな人ばかりではないか。

ということで(?)
今日は蟹座の偉人、ヴィーコについての小話でも(笑)


ヴィーコ - 学問の起源へ (中公新書)/中央公論新社
ヴィーコについて書くと、テンションがあがります。





さて、ヴィーコはスピノザ同様、
反デカルト主義である(もともとはデカルト主義)



数学信仰であるデカルト主義者の認識論に対し、
ヴィーゴは、必要なのは「認識可能なものと
不可能なものを区別する原理である」という立場を取った。



しかし、これは排除目的の批判ではない、
ヴィーコはそれらを統合させようとしたのだ。



つまり「閉じられたテキスト」だけではなく、
「開かれ、編集されるテキスト」も必要、と言う事である。




☞ ☞ ☞



当時はデカルトの教育手法がメインであった。
それは幾何学を取りれた「クリティカ」、


それは会話を削ぎ落としたシンプルなもの。
合理的でスマート、まさに現代の「システム」だ。


反面ヴィーコが取り入れたのは「トピカ」、
「発見の知」と言われ、共通する「感覚」への注目である。



見れば、デカルトとヴィーコは「相補的」であって、
対立ではなく「共存」しているのが分かるだろう。



完全なる知の秩序を目指したデカルト、
そして、その「裏面」であるヴィーコ、



そんな矛盾が裏表として同一化している。
まるでルパンと銭形警部である(笑)









ヴィーコは自身の学問体系「トピカ」を絶対化していない


「どちらの方法も欠点を持つ」、
ヴィーコはこう切り出した。



トピカは虚偽を捕らえ
逆にクリティカは真を捉えようとしない。



つまりどちらも「真理っぽいもの」に近づくことしか
出来ないのであって「そのもの」を手に入れる事はできないのだ。




☞ ☞ ☞




あらゆるものは相対、逆を言えば「相補」、


現代は理論(科学)へバランスが傾きすぎている
僕が世間に問いたいのは、この「偏在」している事実だ。





1 件のコメント:

  1. SECRET: 0
    PASS:
    遊びに来てしまいました~
    とても楽しそうなブログだと思いました☆
    また、来ます( ゚∀゚)ノ

    返信削除