理念とは永遠に続く螺旋状の性質
を持つと言うのがunreveの定義、
「現実世界で達成できないものを
設定するなんてナンセンス」と言う人も
いるでしょうが理念と目標は同じではありません。
目標はあくまでも理念の途中経過に位置するものです。
目的と手段が入れ違うように、
理念と目的も混同されやすいのです。
てなわけで今日は目的と手段のお話し。
さて上記のようなことが起こる原因は
目的と手段の相対的な関係にあります。
以前の目的は手段になる時があるということです。
例えば学生の時に良い成績を取ることは
「目的」です。そのための手段として公式を
覚えたり歴史の年号を覚えたりしますよね。
しかし卒業するあたりから良い成績を
取るという目的は希望の就職先に受かる
「手段」になります。このように目標は
相対的に入れ替わるのです。
結婚だってそうですよね、
ゴール(目標)じゃない(笑)
知識を得ること然り、目的じゃないのです。
目的「もしかして」
手段「わたしたち」
目的・手段「入れ替わってるー⁈」
(二回目)
閑話休題。
ちなみによく聞く「目標疲れ」とは
手段が目的化されたことによる
負のスパイラルのことを指します。
例えば起業コンサルはよく年収(年商?)
1000万円を目指そうと言いますが
あれってまさに手段の目的化なんですね。
(最初のモチベーションとして必要かも
しれませんが)であればその目標として
設定された金額(利益)が一体何に繋がっているのかを明確にしないといけません。
数値が目的になってしまうのはノルマです。
「達成できたか、否か」が意味となって
しまえば次はもっと高く、それを達成したら
もっと上を・・を繰り返すだけ。それが
上記の目標疲れ(燃え尽き症候群)なのです。
よって目標には意味を与え目的(理念)に
昇華させることが必要です。数値目標なら
他人から与えられることも与えることも
できますが、意味(目的)だけは自分で見出すしかない。
これはビジネスだけでなく私生活も同様ですね。
「後記」
現在この国は民主主義(平等)国家ですが
それもまた統治手段の一形態であると思ってます。
目的でもなければ目標でもない。
故に今よりも上手く国家が回る方法があれば
民主主義に拘らなくとも良いんじゃないかしらん。
失礼、ちと過激な発言でしたか(笑)
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