もし「直感」が全て正しければ衝動的に
やった事は全て肯定されるはずだけど、
衝動買いした後「買って良かった!」と
思うことって、あまりないですよね。
僕も衝動的につい買ってしまう事があるんですが
10回中8回は「あ、いらんわ」ってなります(笑)
(だから買う時はすげー慎重)
多分にそれは直感ではなく無意識下の欲望が
急激に現れただけだったんでしょう。つまり
自制心との葛藤に敗れてるだけなのに
「ピンときた」と思い込んでいるだけ、
故にその使い道は必ずと言っていいほど
過去の楽しかった体験を引っ張り出してくる、と。
世間はそれを娯楽と呼びます。
なるほど。会社員時代の頃の僕はバカ高い
服を買ってキラキラした街に繰り出して
暴飲暴食するのが豊かだと思っていましたが、
今思えば金の奴隷だった自分がその金を奴隷に
することを楽しんでただけなんですね。あ、そうだ。
失礼しつれい、今日は直感についてでした。
(衝動買いについて書きそうだった)
本来の「それ」は非常に取り扱いが難しいもの。
そりゃそうです、意識以前の問題だから認識すらできない。
昔の人はそれを「魔が差す」とも。
この「魔的なもの」とは、いったい何か?
オカルト好きやスピリチュアルの人は
浮遊霊やら悪魔の仕業だ、というでしょうが
多分にそれは意識の先にある意識、
自制した意識がポッカリ空いた際に
隙間から生まれる「ナニカ」でしょう。
それが「存在と自我の問題」である以上、
言語から乖離した知覚対象外の性質であるのは間違いない。
ちなみにブルトンはフロイトに影響を受けて
無意識と意識を一致させ、表面化しようと
試みようとした(レアリスム)んですが、
それは我々が実在の近くに存在していないという
前提ありき、異なる立ち位置では分析できなかったわけだ。
多分に直感は欠点があるのではなく、
未知(不可知)な部分が多すぎるのだろう。
上手くいけば小林が見た世界や
岡の言う10層を感じるかもしれない。
究極、ソクラテスが対話したダイモンと
出会えるかもしれない。しかし創造を想起するか
それとも破壊となるかは分からないのです。
ボヌフォアが「分解することができない本体が
露呈されているが不可視のもの(l'invisible)」と
呼んでいるのも似たようなもの。
多分に
古来の人間はこれを「神と悪魔(畏怖)」と捉え、
実在を直接的に捉えたものを「啓示」と呼んでたのかもしれないな。
古来の人間はこれを「神と悪魔(畏怖)」と捉え、
実在を直接的に捉えたものを「啓示」と呼んでたのかもしれないな。
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