民主主義や自由の権利について
よく引用される言葉があります、
私はあなたの意見には反対だ、
しかしあなたがそれを主張する権利は命をかけても守る。
フランスの啓蒙主義の哲学者である
ヴォルテールが述べた、と言われます。
今回はそんな自己主張についての小話。
多様性に伴い、主義・主張は自我だと批判されています。
「それはあなたが勝手に思ってるだけでしょ」という事。
たしかに行きすぎた主張や権威を持った主観は
宗教的で危険な性質も持っていますが、
逆にそれがなければ我々はどこへ向かっていいのか
全く分からなくなります。
また、その先に「喜びや豊かさ」がなければ
誰もがそこへ向かおうと思いません。
問題はその主張の先にある「ビジョン」が
どれだけ価値を持っているか、それに尽きるのではないでしょうか。
また、その価値こそ主観を超えたものであって、
超える、ということは横軸ではなく縦軸。
つまりその言葉を裏付けする深さであり本質であり
政治家のマニフェストのような広く薄っぺらいものではないのです。
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人間とは挑戦と失敗によって得られるものがあります。
それは本物の喜びと「人格」です。
よって人格というのはパーソナル(個人・私的)ではなく、
何かしらの行為によって育まれれる後天的なもの、
よって私の思う魅力のある人とは両義的な経験から
鍛えられた精神性を得た方々の事です。
それは安楽や怠惰、そして平穏のどかな環境では
なかなか成熟できないものではないでしょうか、
苦しみや困難、孤独や絶望といった経験によって
精神性の年輪が深まり、人格と成る。そんな気がします。
人格は石のようにそこにある。というものではなく、
パンのように日々、作られるもの。
常に作られ、直され、新しいもの。
そんな動的なイメージがあります。
逆境が人に与える教訓ほど、麗しいものはない。
これはシェイクスピアの言葉です、
「苦や不」という概念はできれば避けて
取りたいのが心情ですが、
そこには「楽や喜」では決して手に入らないものが
手に入るんですね。
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