2015/02/02

真理とは型

全員もれなく・・・とまでは難しいのですが、
共同体において、「明るい将来像」は希望を与えます。


我々はいつしか、そんな大きな夢を持てなくなりました。
長引く不況が原因なのでしょうか、
それとももっと前の、バブル崩壊後からでしょうか。


いや、もしかするとそれはもっと前、
欧米にキャッチアップし、経済大国になった時点かもしれません。


でなければ、バブル時の刹那的投機など
目先の利益を求めるような真似はしなかったはずです。


つまり国を上げての目標が実現した時、大半が
自分たちはどこへ向かえばいいか分からなくなった。


だからこそ、その不安から逃れるために
バブル投機の道へ進んだのかもしれません。



今日はそんな小話を。


☞ ☞ ☞


こんな時だからこそ、大きく明るい夢を持ちたいもの、
すぐに達成できそうな現実的なものでは不十分です。


マイナーチェンジを繰り返して辿りつくようなものは
新しい事をやらなくとも片付く以上、それが面白いわけがない。



人間には大きく分けて2種類のタイプがいます。
それは他人と同じ事をして安心するタイプと、
他人と違う事をやらなければ気が済まないタイプです。



今の時代、後者が求められているのは必然、
今までは「和を乱すもの」として、排除や教育対象でしたが
これからはこの能力が大変重要になってきます。



もちろん、加減を知らず何でもかんでも
他人と違っては機能しません。


ただ、その意識がある人と、ない人では
仕事に対する意識が全く変わってきます。


他人と同じようにやる人は、仕事とは「こなすもの」。
質は変わらないので、量だけの勝負となります。


反面、違った事をやる人は仕事は「楽しむもの」。
二番煎じでは満足できないので、必然的に質は向上します。


量から質、ダイヤモンドは希少だからこその価値であって、
仕事にも、我々にも、同じ事が言えるかもしれません。









さて、FCは同じ仕事をやるシステムである以上、
そこに大義名分があっても楽しくはないでしょう。



僕は新しいFCを提案しています。
それはFCであっても、仕事を楽しめる仕組みです。
(もちろん、各自が型を持ってから)



楽しめる、とは一体なんでしょう。
そもそも、「人と同じ事をして楽しい」などという人は
楽しさの本質を分かっていない。


それは楽しいのではありません、「楽(らく)」なのです。
ラクで楽しい仕事なんて、存在しません。



人と違う事をすれば苦労が伴うのは当然の事、
それを乗り越える過程があって、初めて「楽しい」のではないでしょうか。


前例のないものにチャレンジする事も楽しいものです、
前例(数字)がないものだからこそ、叩かれもします。



中にはその概念を批判的に考える人もいるでしょう。
大きな夢や概念を、過去から前例から考えるからです。



そんな人は相手にしなくていい、それは
会社員から独立する時に引きとめようとするタイプ、
彼らは自分が経験したことないものに対し、否定的です。



よく自分が理解できる範囲内において
アドバイスや助言をする方がいらっしゃいますが、
それを超えたら批判に転じる、よく見る光景。



聞くべき部分はそんな多数の声ではなく、
知識者、専門家の声ではありません。


メリットとデメリットを綿密に計算し、決断する。
この決断が成功の鍵を握ると仮定するならば、
それは一つの型(パターン)です。


そのパターンの中には前例を超える為の挑戦や
目の前にあるたくさんの課題をクリアするための試行錯誤がある。



真理は部分ではなく、そんな型(パターン)が
幾重にも重なった状態にあると個人的には思っています。



その型が暗黙知、言い方を変えれば静態的科学ではなく、
動的、経験科学とも言えるでしょう。


0 件のコメント:

コメントを投稿