2015/02/02

日本のアイデンティティ





さて、ガラパゴス化と言われるように、
どうもこの国は「特殊な国」だという
イメージが根強いのですが、




理解できないものを「特殊」にする
考えは、学者達の怠慢ですね。
「見えないもの」を見ようとすると、
こういった解釈になりがちです。




見えないものとは感じるもの。
日本はこの情緒こそ、根幹であって、



そんな繊細な精神性の「結果として」、
歌や詩が表現されていたのです。



誤解を恐れずに言えば、
この国の精神性は他より一段高い。



例えば、源氏物語は1000年前の
女性(紫式部)が書いたものですし、



国家「君が代」は、古今和歌集の
短歌を元に、作られています。



無形文化遺産である和食を見ても、
諸外国が手で食べていた時代に、
この国は箸を使って食べていたわけです。



それらは「モノゴト」ではなく、
人の「ココロ」から派生するもの。



形式ではなくその背景を知る、
それが伝統に触れる近道だと思います。









さて、以前書いた職人や
丁稚という継承智も、その時代から
すでに存在していたと書きました。



1000年以上続いている企業の
大半が日本にあるのは、こういった
継承性によるものでしょう。



日本と似たこだわりの精神を持つ
ドイツだって、100年以上の
企業数は、2000社程度だと言われます。



これが米国となればどうでしょう、
多分、数えるくらいじゃないでしょうか。



これは批判ではなく、外国の
インスピレーション型(理の型)が
短期的な志向性、横の拡大である半面、



この国は情緒(情の型)であり、
志向性は縦の向上なのだと思います。




終わりなき無と、終わりある有。
そして、その対角線上にある「間」と「境界線」。



そんな縦と横が織りなすことで、
中庸の世界が構成されるのかもしれません。



故にその「加減」を経験し、知ることが
縦横無尽な自由だと、個人的には思ってます。



☞ ☞


さて、こういった世界の雛型を
江戸時代ではすでに作ってたのですが、
実際のところ、あまり知られていません。



現在、「本当の歴史を知る」には、
ちょっと手間がかかるのです。



なぜなら、今の教科書に書かれている
歴史は、中国よろしく意図的に作られたものだから。



GHQは、戦後日本の文化や伝統を
つまらないものと思わせる為、
教育によって変え始めたんですね。



結果、文化や伝統、精神性を否定し、
自我こそ「じぶん」だと信じてしまった。



自分にとって損か得か。
自分にとって有利か不利か。




そんな部分の最適を目指す姿勢は
勝ち組や負け組という概念を作りました。



勝ち組こそ絶対的幸福だと
一神教的な考えを盲信してしまい、



それによってピラミッド構造が生まれ、
支配・被支配の二極化へ向かってしまった、と。




まあ、「一見」成功したかに見えますね。



☞ ☞



現在この構造がことごとく
崩壊しているのが分かるでしょう。



教育しかり、経済しかり、宗教しかり。
現在「揺り戻し」によって転換しています。



後はオセロと同じです。
角さえ変わったら、一気に変わるでしょう。



その「角」の目星は付いているのですが、
書くのはちょっと控えますf^_^;




今でも理性による正しさの追求を、
力の証だと思っている人を見かけますが、



そもそも論(前提)が間違っている。
これも前回「漢意」で説明しました。



理性を使えば、弁護士よろしく
殺人だって正当化できるわけです。



そんな正しさ、間違ってる。
我々の心が、納得しないのです。



それがだんだん形になっているからこそ、
変化の時代だと言われているのでしょう。



unreveでは、これを変化ではなく
回帰だと捉えています。



☞ ☞


現在、幸いにも日本の本来は
この国を訪れた外国人の著書によって
「ある程度」知る事ができます。



情緒がよく分からないからか、
見たままを書いているのですが、
絶賛している人がとても多い。



科書をはじめ、御用学者や
師の多くは、一番大切なことを
えなかったわけです。




いつの時代でも、情報を丸ごと信じず、
自分で見極めろと言ってるのは、



こういった恣意的な「教」が
情報にあるからなんですね。



自分の心の声を信じましょう^^




【後記】


数学者である岡潔は、数学の世界でも、
感情に満足を与えるのは
理性や知性ではない、と言います。



矛盾がない、ということは
矛盾を感じない、ということであり、



本質的な理解は「感情」、
心の部分なのだ、と。



そこから彼は自分の生き方を
以下のように答えています。






宗教の世界には自他の対立はなく
安息が得られる。


しかしまた自他対立のない世界は
向上ももなく理想もない。


人はなぜ向上しなければいけないか、
と開き直って問われると、


今の私には「いったん向上の道に
いそしむ味を覚えれば、それなしには
何としても物足りないから」としか答えられないが、


向上もなく理想もない世界には
住めない。


だから私は純理性の世界だけでも、
また宗教的世界だけでもやっていけず、


両方を兼ね備えた世界で生存し続けるのであろう。


1 件のコメント:

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    オジャマします(^^)/人のブログを読むのも大好きです(^^)/更新頑張って下さい!ではまた!

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