2017/06/30

日本(人)論考



つい数年前は「日本の常識は世界の非常識」
みたいな番組がテレビを賑わせていた。
あれを見て「この国は世界の常識を知らない
後進国なんだな」と、自虐的な感情を
植え付けられてしまった人もいるだろう。


しかし今はどこもかしこも日本賛美、
正しかったのは日本人だった、ってね。
そんなメディアの変わり身の早さには
唖然としてしまうな。


こう言った極端な思考回路は
世界共通の「バカの条件」である。
無私と自分を見失った人は全く違うように
素直と無思考は違うのだ。


上から目線で偉そうだという意見は
今回は聞かないよ。極端な意見に共感し、
疑うことなく信じ、集まるのはやっぱり、どう考えてもバカだ。







静思し、真剣に疑問符に向き合えばその
複雑でどうしようもない矛盾を感じずには
いられない。逆を言えば全く矛盾を感じない
知識人の発言は誰かの思想を借りてるか、
もしくは自分に嘘をついているに違いない。


冒頭のテーマ然り。日本を端的に
語るような人を僕は信用しないね。
なぜならそれは一枚岩ではなく 
幾重にも折り重なっているのだから。


例えば僕は自分の父親が全く理解できない。
最近では理解しようとも思わなくなった。


血の繋がった親子ですらそんな感じなのに
「日本人」を丸ごと理解できるわけないわな。


🗾🗾🗾


閑話休題。
僕が好きな日本は多層的な価値に
共鳴することができる文化であって
「これが日本人だ!」とアイデンティティを
確保しようとする行為じゃない。


そんな重なり合うグラデーションを見ず
単色で物事を判断するような人は違う意見を
探してはモグラ叩きのように叩きだす。
いわゆる「排他的なムラ社会」というやつだ。
そんな場所よりも外国の方がよっぽど
親近感を持つという人も多いだろう。


こういった面もこの国は持っていると
いうことを含めて考えないと「日本」は分からない。


いわんや常識をや。
薄っぺらい日本を知りたきゃ、それでも良いけどね。



「後記」


古来より日本人は調和を大切に生きてきたという。


昔の国名が「大和」と呼ばれていたように
人々は大きな和を尊び、その中に自分が所属している、と。


礼儀礼節、約束を守るのは
人に迷惑をかけないため。
和の中の人を傷つけないため。


一見、素晴らしい精神性だと思うだろう。
しかしそれは集団性が混じった中途半端な
「個」でもある。柔軟な感受性ではあるけれど、
場合によっては「本当の個性」まで引きずり
落とそうとしてしまう気味の悪さも併せ持つのだ。


なるほど、己が中途半端な個性であると
自覚してるからそこから逸脱する人が
我慢できないのだろう。その前提には
大衆の特徴である盲目的な従属姿勢があるわけだ。


結果、まるで自分が世界のことを
知り尽くしたかのような態度で世間から
はみ出した人を嘲笑し、新しいチャレンジを
する人を諦めさせることに必死になる、と。



和合(調和)の精神は諸刃の剣。
使い道を間違えば迎合になってしまうね。





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