2017/09/12

馴れ馴れしく、余所余所しい。






人材育成においてマニュアル(制度)で
決めればうまく回ると思っている人が
未だに多いけど、大抵の場合、なんとかならずに形骸化してますね。


そんな組織に共通しているのは
「コミュニケーションが上手くいってないこと」。
これ、僕が断言する数少ない要因の一つです。


コミュニケーションコストは無駄と言う
合理主義によって、企業は雑談ひとつ出来ない
キチキチのオペレーションやスケジュールを
組み上げ制度化しましたが、最近になって
その結果(弊害)がアチコチで出てきてますよね。


さて生産性は上がったでしょうか。
現場は杞憂なく回ってるでしょうか。



そして、現場に一番大事な「余裕」はあるでしょうか。



✍✍✍


多様性の土台となる「一(常識)」は対話によって
作られ、その蓄積が風土や文化になると言うのが
僕のリゾーム派生の骨子、コミュニケーションや
対話の目的とは意見を言い合うことで共通感覚である
コモンセンスを形成するためにあります。


それができないところが
冒頭に書いたように制度化するわけです。
もちろん、我々は不完全ですからある程度は
制度によって縛らないといけないんですが
「1から10まで」制度化すると逆効果です。


例えば「挨拶くらいしろよ」と言えば
いいだけのところ、それをルールにしてしまう。
「その言い方失礼じゃないですか?」と言えないから
分厚い「パワハラマニュアル」を作る、みたいな。


どんどん首を絞めてるようなもんだから
職場が息苦しくなってくる、と。ちなみに
これは現代社会の閉塞感にも通じるでしょうね。





コミュニケーションの土台は
「馴れ馴れしい」と「余所余所しい」を
行ったり来たりしながら距離を覚え、作るもの。


今はそのさじ加減がわからなくなってきてるんでしょうね。


「後記」


この国にノブレス・オブリージュの概念が
浸透しないのは特定の人だけに都合の良い
コミュニティを作りたがる悪習が一因かもしれんね。


とにかく古株やマジョリティの居心地を
最優先してしまうから、加害者をなだめたり
被害者に我慢させると言う、ちょっとした苦行を
強いることが多々あるのですよ。


それって(島国根性的な)差別ですよ。
その原理で組織が動いているってことは
どれだけ高尚な理念があったとしても
強きを助け弱きを挫く集団なのですね。合掌。


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