2017/08/07

答えは生もの




以前アドラーの「嫌われる勇気」が
ベストセラーになりましたが、この
「嫌われる勇気」とは自分の意見を
主張しないといけない場合によってのみ
通用する概念ではないでしょうか。


そこで一番必要なのは
嫌われる勇気でも根性でもなく
リベラルアーツのような
教養の教育じゃないかしらん。




批判を一緒くたにするバカがこんなことを言い出す。




知識はあるが、知性がない。
教育はあるが、教養がない。
差別はするが分別(区別)ができない。


どこぞの誰かが言っていたが同意。
今の政治は上記のような人たちばかりです。


真に教養ある人は常に疑いを持っている為、
簡単に納得したりフェイクニュースに騙されたりしません。


単純な主張をする本や人などを信じず、
複雑なメッセージに耳を傾けます。
なるほど、一流の作家が書いている
本からは「すべてを信じるな、この本でさえも」
と言う声が聞こえてきますね。


なぜなら「答えは生ものだから」、と。
つまりそう言うことでしょう。


「後記」



自由と多様を勘違いしてしまえば
物事の善し悪しが分からなくなってきますね。
モンスタークレーマーが「これは
私の価値観だ」と言ってるのは自分が
分からなくなってきたのかもしれません。


ちなみにその意見を受け入れる社会は
寛容な精神による理想環境ではない。
無論、ダイバーシティでもデモクラシーでもない。


それはモラル・ハザード(倫理の崩壊)と呼ぶのです。


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