2017/07/07

マウンティングの心理


上から目線で自慢したりアドバイスする人を
「マウンティング」と言うみたい(゜゜)
なるほど。mounting(上に乗る)って
意味だから常に優位に立ちたい人ってことだ。


じゃあ、逆に下手に出て相手を乗せる人は
「トッピング」かいな。



そんなオヤジギャクからの小噺。







さて、男性でも女性でもマウンティングしたがる
人の心理には「認めてほしい」という欲求があると
書いてたけど、そんな単純なものじゃないだろう。


近代はコミュニケーションではなく
心の解剖学になっているようだけど、
個人的にはこの前提自体がそもそも
間違いじゃないのかと思ってる。



他人の心理、自分を変える心理、
人を動かす心理に消費者心理と本屋には
「心の学問」がズラリと並んでる。
確かにユングやフロイトやNLPやらを使った
心理分析や定義は楽しい。僕も一時期ハマってた。


ただ、僕はそんな知識に当てはめて人を
判断するのが不誠実に感じてきたわけですよ。


当たってる部分もたくさんあるけどね。



昔はセラピストなんてそんなにいなかったし、
心理学なんて大半が知らなかったけど、そんな
知識を持ってる人よりも経験と鋭敏な感性を
持った人の方がよほどしっかりと人間を掴んでいたんじゃないかしらん。


そんな人の言葉ってのは大抵、耳に痛い。
「人格」を伴ってる以上、忠言だからね。
説得力があったわけだ。


じゃあ、そんな人たちって他人に
認めてほしくて「マウンティング」してるのかしらん。


✍✍


心の学問(分析)は「人格解体」。
説明である以上、人格を磨くじゃなくて
「ありのままを認める」ことが最優先されるのではなかろうか。


例えばコンプレックス。
一旦定義してしまえば忍耐や努力が
必要な時も「それがコンプレックスだから」と
変な自己肯定をやってしまう人がいる。


下手すればこれが個性だと自慢しかねない。
「いやー、キレやすいのがコンプレックスでね」と。
いやいや、じぶん治す気ないやろ(笑)



(ちと鬱陶しい書き方をすれば)
幼児期のピュアな精神を大人になっても
持ち長らえることは大事なんだぞ、と
自由を教えるのは気楽で楽しい。
教えていて気持ちの良いものだ。


反面、規律などの不自由を教えようとすれば
どうしてもその源泉(中心)を理解しないといけない。
単に歴史や文化や伝統といったものに求めても
昔の価値観だと言われたら言い返せないんだよ。


故にそこには必ずと言っていいほど葛藤がある。
逆を言えばその葛藤を本人が引き受けなければ
教えることなどできないと思う。






20代の僕は身勝手なクソ野郎だった。
自分のことばっかりで、迷惑ばかりかけてた。
でも先輩や上司の人は上手に怒ってくれた。
今思えば、非常に恵まれてた。



もしあの精神のままだったら、きっと他人の
痛みなんて分からない人間になってただろうな。



20年後も「今の自分」にダメ出しできる人間でありたい。



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