2017/01/30

夢だけど、夢じゃなかった!




トトロがくれたドングリを蒔いたメイちゃん。


毎日畑に行っては「まだ芽が出ない」と、
睨めっこしてます。




そんなある日の晩、サツキとメイの前に
トトロ達が現れ、畑の前でお祈りをはじめます。




二人も一緒になってお祈りしてると、
畑からぽこぽこ芽が生え出し、
一気に大木へと成長していくのです。



有名なシーンですね。



その後二人は寝てしまい、
目が覚めると蒲団の中。


サツキは「あれは夢だったの?」と
考えていると、メイが畑に可愛らしい
芽が咲いているのを見つけ、大喜びします。



「夢だけど、夢じゃなかった!」







このセリフって、実はとっても深いんですよね。



ここでサツキは「AだけどAじゃない」って
言ってることに気が付きましたか?それってまさに「即非」の概念なんです。



なぜならドングリの芽が出てきた
原因をよーく考えてみると、
自力か他力か。偶然か必然か分かりません。



トトロが出てきて理想(結果)を
叶えてくれたか、メイちゃんが
トトロを引き寄せて芽が出たのか。


それとも、自然な流れとして
芽が出ただけなのか。



いくら考えてもわかりませんよね。
分からないと言うか、どれもが原因になってる。



これを禅では「啐啄同時」と呼ぶようです。




「後記」



二人はそんな夜の出来事を「実感」として
覚えています、つまり経験的な事実です。



現実に考えると一瞬で大木に
なるわけがない。
(けど)現実は芽が出ている。



そんな現実と夢(理想)の狭間を
「夢だけど、夢じゃない」と言ってるんですね。




見ればベルグソンや小林もこういった
霊的な実体験を蔑ろにしなかったようです。


例えばあるフランス夫人が有名な医学者と
ベルグソンに夫が戦死する夢を見たと話しました。


夢では周囲の風景や集まった兵士の顔も
非常にはっきり覚えていた。その後、夫が
戦死と知らせてくれたのがまさに夢にいた
兵士だったと言うのです。



その話を聞いた医学者の方は
「その体験は正しいと信じたいが、
事実と違う場合もある」と言うのに対し、
夫人は「先生の考えは間違ってる」と反論します。


そこにいたベルグソンはその反論を
「その通りだ」と思い、小林もまた同意しました。


なぜならその医学者は
「夫人の正しい経験に目をつぶっている」から。


目をつぶれば具体的な経験は
当然、抽象的問題に置き換えてしまいますよね。


つまり個人の実体験が「正しいか、正しくないか」
という、人間全体の「問題」になってしまうんです。


夫人は経験的(主観的)事実を
話したのであって、客観的(合理的)問題を
話したわけじゃない、ってことです(゜-゜)



0 件のコメント:

コメントを投稿