2016/05/06

想像力のない人間なんて②




前回に続き二回目。
今回は自己中心と場所中心の違い。



ちなみに前回のやつ、実は書くだけ書いて
お蔵入りしようと思ってました(゜゜)



でもアップしていいか、と。
仏のようなおだやかな記事ばかりは書けない。




そんな毒のある、ブログですが、
誰かの薬になれば、これ幸いです。




では本題へと移りますか。





理性が極まれば独裁者か大衆かのどちらかにしかならない



これは僕の自論なんですが、
理性は場所中心、部分としての視点である以上
秩序が作りやすい反面、誰も出る杭にならない(なれない)。



社会では、そんな部分視点が強く求められますね。



彼らはチームワークというものを
足並みをそろえる軍隊式だと勘違いしてますから、
必然的に「従う」と「従わせる」関係ができてしまう。



そこで本音を殺し、頭で考えたコミュニケーション
ばかりやってしまえば精神的な息苦しさを感じるのは当然のこと。



分かりやすい例はFBなどのソーシャルですよね。
ソーシャル疲れというのは、まさにこの「閉塞感」ではないか、と。



もちろん個人差もあるけれど
建前だけの社会が息苦しいのは間違いありません。

場所中心の人は全員が監視役になる




僕自身、17年近く会社員生活をしてたんで分かりますが、
それに慣れてくると分からなくなってくるんです、心の声が。



何をしたいのか、何が楽しいのか。
どんどん曖昧になってくる。



そこで薄くて緩い関係性を「たくさん」作ったり
刺激的な体験ばかりを追い求めたりと、
誤魔化しごまかしでやってましたが、



ひとたびそのシステムの部分から抜け出すと
ビックリするくらい、孤独だったと分かりました。



例えば年賀状はそれこそ「たくさん」きてました。
こちらも「たくさん」出してました。



毎週、会社関係の人と飲みに行ってました。
後輩や部下もよく家に遊びに来てました。



でも、会社を辞めると一通も来ない(笑)
誰からも誘われない、誰も遊びに来ない。



そこで、個人ではなく、部分としての
関係性であったと気が付いたんですね。




☞☞



閑話休題。
反面、自己中心はあくまでも視点は主体側、
場所を中心にして物事を考えません。



よって出る杭にもなりますし、会社のルールや
無駄な制度に息苦しさを感じることもあるでしょう。



良くも悪くも全体の「空気」を無視する、と。
最終的な決定権はあくまでも自分にあるのです。



もちろん、処世術(技術)が未熟であれば
コロコロ転び、バカにされるでしょうが、



自分の感性(直感)に頼り直接経験を
繰り返すことによって、自分だけの方法、
法則を身に付けていきます。




これをunreveでは「暗黙知」と呼んでいます。
マニュアル(形式知)の対立にある概念です。




これが理性で秩序を作ってる人、客観的な
場所で見ている人からすれば気に入らないのです。



空気を読め、一人で勝手なことをするな、
チームワークを大事にしろ、ってね。




ただ、冒頭にも書いたように
本来のチームワークは右へ倣えではなく
個人プレイの総和です。



各個人に主体性があるからこそ、
必要な他力がどこか、分かるんですが、



場所中心はお互いを監視し合う結果、
ただの「あら探し」になりがちなんですね。



繰り返しになりますが理性はどうしても
「主と従」を作ってしまうんです。








長くなりましたが、そんな自己中心的な
組織を作るには、調整役(間)が必要となります。



揺らぎと遊びを作り出す、中空均衡。
次回はそれをテーマにでも。





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