2016/05/01

日本流の積極的態度とは




レオナルド・ダ・ヴィンチの
有名な作品にモナリザの肖像がありますが、
ダ・ヴィンチはその絵を生涯、持ち歩いていたと言います。



はじめは依頼されて書いていたけれど、
途中で手放せなくなってしまったんですね。



フィレンツェから書き始めたダ・ヴィンチは
ミラノからローマ、そしてフランスへと渡っていますが、
その間、暇さえあれば加筆を繰り返していきます。



その期間、約15年。
多分に、モナリザはダ・ヴィンチの理想を
表現する対象になってしまったのではないでしょうか。







僕の地元久留米に高島野十郎という画家がいましたが、
調べれば、彼もまたダ・ヴィンチと同じように
少しずつ、手を加えながら作品を完成させていったようです。



「雨 法隆寺塔」に至っては実に17年、
それ以外の作品も2年近い歳月をかけています。



なるほど、彼らにとって、売るための作品と
「研究するための作品」は全く別物なんでしょう。



そのような生き方しかできないのが
芸術家を芸術家たらしめている、



画家だろうが経営者だろうが会社員だろうが、
志向する精神性ってやつは似たようなものかもしれませんね。












人はたったひとつの「人生」という
作品を作るために、生まれてくる。



これは僕の考えている人生論、
「生きる」とはそのための「手段」だと思ってます。



生きる自体に意味はないというのではなく
生きることで作品は作られるという相互補完の関係です。



(説明が難しいのですが)
故に、「何もしない」という逆説的行為も
人生という作品の中では成立するのでしょう。



☞☞



生まれたときに抱えた純真無垢な素材に
少しずつ、自分の色を重ねていく。



何を書くか、どうやって書くか。
そもそも絵なのか、彫刻なのか、別の何かなのか。



人によって素材は変わってくるでしょう。
それを掴むまでに、我々は長い時間を費やすのかもしれません。



孔子は40にして惑わずと言ってますが、
多分に、その素描を発見するまでの年月では
ないでしょうか。



普通に生きていれば自意識はいつも邪魔するし、
世間は色んなものを押し付けてくる。



その結果、偽物(イデオロギー)の
作品を作ってしまう時もあるだろうけど、



そんなものにいつまでも惑わされるな、と。
論語を見ると、そう言ってるように感じますね。




☞☞



一度、見出すことができたのならば、それは
モナリザのように生涯持ち歩き続けるものでしょう。



途中で完成してしまってはいけない。
完成したらそれ以上先には進めなくなってしまうから。



それは人の思想であっても同じようなもの。
肉体の脂肪はすぐ取れるけど、精神の脂肪が
一度ついてしまったら、なかなか取れません。



それと一番格闘しているのは、
多分に言葉を商売にしている人でしょう。



作家や哲学者は自殺してしまう人が多いのですが、
その完結した思想を原稿に書くことによって、
精神の活動が衰えてしまうからではないか。



書くという行為は維持するためであって、
精神が進むことはない、と。



故に、日本の求道者たちは「未完」を
発見することで「完成」を見出したのかもしれませんね。







それは一見、曖昧で消極的な
態度の様に見えるかもしれないけれど、



実は未完へ向かう「その」精神こそ最大の積極性であって、
それが理念となれば、企業に永続性が内包されます。




みなさんもそんな理念を作ってみませんか。
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