2015/11/04

心地よい場所を作る、作れ、作ろう



こんにちわ、坂口です(゜゜)


皆さん、ブログを書くときとか
デスクワークをする時って、何か音楽かけてますか?



ちなみに以前の僕は無音でしか
集中できないタチだったんですが、



今はお気に入りの曲をいくつかまとめて、
「かなりボリュームを下げて」聞いています(笑)



ちなみにライアー(リラ)を使ったやつとか好きですね。






ライアーの基本調律は432Hz




さて以前の記事でそれぞれが
心地良い場所を求めてると書いたんですが、



結局それは、自分自身の感情によって
決定されています。



緊張していればどんなに
素晴らしい料理も美味しいと感じないし、



嫌いな人と一緒にいれば、
ディズニーランドは夢の国じゃない。



この感情(感受)というものは人によって
鋭かったり鈍かったりと、差があるでしょうが、



感情を枯らしてしまったと自覚した人たちは
(もれなく)再びそれを取り戻そうします。



つまり「心地よい環境が必要な理由」なんて
いらないってことでしょう。




それは自分にとって都合のよい居場所を
発見したり、作ったりするというよりも



「私はこれが良い」という、
絶対的な自覚の回復ということ。




そこに知識は不要。
イーゼンハイムの祭壇画よろしく、
捨てることで現れる、顛倒の真理がある、と。




☞☞



知識を詰め込むことで、最初に持っていたものが
失われてしまった後、それを努力によって回復させる。



無宗教の僕がそんなキリスト教の原理を
語るなと言われそうですが、どっこい
回復「過程」なんて本来不要、




必要なのは回復(回帰)だけです。
さっさと治療せい。




弓矢が刺さったままの状態で
「どこから飛んできたのか」とか
「血はどうして流れるのか」なんて、
哲学的なこと考えるんじゃないよ。



んなもん、健康で精神に
余裕がある時だけ許される
知的遊戯なんですから。







一回間違って、やり直した人(回復)のほうが、
最初から間違ってない人より偉いわけがなく、
それは更生したヤンキーが偉いと思うようにどこか不自然なんですが、




経験してるから、二度と迷わないという
意味なら、悪い事じゃないのかもしれませんね。
(決して偉くはないけど)




結果が良ければどっちでもいいか←おい


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