2015/11/18

裸の特異点②~真理は矛盾のすぐ傍に~




こんばんわ、坂口です(゜゜)
前回に続き、二回目となります。
(一回目はこちら




以前書いた即非や色即是空とは
まさに矛盾の極み、



そんな常に揺らぐ境界線を軸とすることを、
このブログではお伝えしてます。




オタクの趣味ですが、今日もお付き合い下さいな。







さて、量子力学は全く同じ条件下でも結果が
異なること(波動関数)を発見しました。



エヴェレットの多世界解釈では
観測者によって宇宙が複数に分岐され、
そのどれもが現実になるというものです。



つまり一元でありながら多元的な世界。
まさに三浦梅園の一即多、 多即一の共存(同時)世界だと言えます。



故に、量子の世界では偶然から必然が生まれ、
カオス(混沌)からコスモス(秩序)が生まれる、と。



小林秀雄はここに注目しました。
著書「直観を磨くもの」で湯川秀樹氏に、
問いを立てたのは、ここだったのでしょう。
(湯川秀樹は量子力学で日本初のノーベル賞受賞者)



その後、岡潔との出会いによって
矛盾がないことは究極的に「感情」の問題であって、



現代数学はこの「感情」を納得させることが
できていないと説明した時、初めて小林は
「わかりました」と口にしたのです。








無から有が生成されるように、
善悪・陰陽など、相反する二項はこういった
偶然性から生まれたもの。




よって意味などない、
否、あると言えばあるのです。
(確率的で考えれば、必然もまた起こる)



ここで観測者の存在がとても重要となります。
何の意味を持たない「真っ白なキャンパス」から
我々(観測者)はどう成すのか。



これが本来の自由(自らに由る)だと
個人的に思ってます。



ちなみにこれは二年ほど前、アメブロで
「同じ石に躓かない為の処世術」という
テーマで第7話にまとめたんですが、



ブログ移行の際、
丸ごと消えてるようですね(=_=)モウ、カキタクナイ




☞☞


閑話休題
さて、そんな世界は意味などないと
虚無主義(ニヒリズム)に陥ってしまう人がいるのですが、



我々はただ生きている(存在)しているだけではなく、
誰もが必ず何かに対し、問いを持っています。




ハイデガーは著書「存在と時間」において、
我々は他の動植物と違って、「存在してる」と自ら
問える立場である(現存在(dasein))と言います。



それに対して明確な正解は知らないけれど、
各自めいめい認識している(存在了解)のです。



そもそもこの「問い」というのは
知りたい対象が分からなければ問いの立てようがありません。



そりゃそうです。
「何を知りたいか」を知らないんですから。



そして、知ろうとしているということは、
絶対的な正解もまた、知らないという事。




当たり前ですが、正解を知っててなお
問い続ける人はいません。「つまり何となく知ってる状態」です。



我々はそんなハッキリとしない
「朧げな解」を知覚しているんですね。




ん。長くなりましたな(゜゜)
続きは次回。






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