2018/06/23
2018/06/22
盲信マーチ
久しぶりにアメブロを見たら
一部のジャンルがバカのプラットフォームみたいになっててビビる。
まっとうな本を読んだこともない人が
ネットの情報だけで知識を得ていると
ああいった思想集団が生まれるんだね。
まさにレミングの集団自殺。
オピニオンリーダーがバカだと全員バカになる。
そっちは毒の沼なのにね。
モツ鍋、旨し。
イン博多。梅雨なのに全然雨が降らず
夜も肌寒いですね(゜゜)
用事を済ませた後、何を食べようかと
近くを歩いてるとモツ鍋屋を発見。
入り口の看板には大きく
「食べログ口コミ日本一!」と。
興味本位で入ることにしました。
「食べログ口コミ日本一!」と。
興味本位で入ることにしました。
🍲🍲🍲
メニューはもつ鍋だけということで
一人1990円の「もつ鍋満足コース」を注文、
まず出てきたのが酢モツ。
これは絶品でしたね。
で、もつ鍋の登場。
このコースは〆のチャンポンが食べ放題でしたよ。
ニラが。。。。(笑)
久しぶりに外でもつ鍋食べました。
ご馳走さまです(´-`).。oO
久しぶりに外でもつ鍋食べました。
ご馳走さまです(´-`).。oO
2018/06/17
六月、徒然なるままに。
空港近くのホテルにて。
良い天気なのは九州だけじゃないですね。
あっという間に6月も半ば。
月並みな台詞ですが今年もあと半分となりました。
しかしまー、今年の世間は忙しいし
騒がしいですね。例えば今年の初頭、
米朝はいつ戦争してもおかしくないほど
緊張状態にあったのに今じゃ「平壌にマクドナルドを作ろう」とか言ってる始末。
始末って言い方おかしいか(笑)
ただこれ、わずか数ヶ月の出来事でっせ?
日本もミサイル飛んでアラーム鳴ってたかと
思いきや「経済支援します(キリッ)」だもんなぁ。
端的に言えば誰も未来なんて予想できないってことでしょうね。
さて、下半期はどうなることやら。
個人的にはイベントが目白押しなので
なるべくリラックスして過ごしたいなと思ってます(´-`).。oO
2018/06/10
情熱の根っこ
カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した
是枝監督の「万引き家族」が先日公開されましたね。
調べれば今村昌平監督の「うなぎ」以来、21年ぶりの
快挙のようです。
おめでとうございます^^
やっぱり日本人は深い内面を表現するのが上手ですね。
さてそんな是枝監督は受賞の記者会見の際、
「受賞したことで燃え尽き症候群に
なってしまうなどの心配はあるか?」との
問いかけに対し「全然そんな心配はしてない。
これで映画の企画が通りやすくなる」と答えてます。
この先、どういう風に自分で撮りたいものを
実現していくか。それだけであって今回の受賞は
そのエネルギーにはなった、と。これを見て僕は
「この監督は有名になりたくて映画を撮ってる人じゃないんだな」と改めて思いました。
多分に(まず)表現したいものがあって、
賞はその途中経過における結果なんでしょう。
「誰も知らない」は後からジワジワ来る映画でした。
歌手もそうだろうけど「歌手になりたい」と
思ってる人の動機って有名になって大金を
稼ぐというものもあれば、ただ単純に
歌が好き、歌うのが好きという人もします。
もちろんどちらの動機も間違ってないけど
前者(売れたい)が動機であった場合、
売れなかったら続けられないと思うんですよね。
有名になりたい人も「認めてもらえなければ」
多分に辞めてしまうでしょう。
反面歌うのが根っから好きな人は
売れずに生活が困ったとしても
働きながらどっかで歌い続けるはず。
人生の(自己の)一部として欠かせないもの
ならば生活の一部として取り込むしかありませんからね。
やっぱり大事なのは「~を~したい」と
心から思う純粋な意思なんでしょうな。
そして、それは幸福ってやつと密接に関わっているんじゃないかなと。
集中力は、僕の人生で一番幸福を
もたらしてくれるものの一つですね。
集中できない人って、そんなに幸せではないでしょう。
僕は、頭の回転は速くない。でも
一度何かに集中すると、何年もそれをやります。
退屈することはありませんね。
大きなヤカンみたいなものです。
沸騰するのには時間がかかる。
でも、それからはずっと熱いままです。
2018/06/09
猿はサル、人はヒト
以前からビッグバンと翻訳違いの
ダーウィニズムを否定してる僕なんですが、
最近になってそれが証明されているみたいですね。
ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」
引用先
https://indeep.jp/dna-barcoding-survey-reveals-new-evolution-theory/
中間である生物種が存在しないことが
遺伝子解析により分かった、と。つまり
この世の生物は徐々に進化(変化)した
わけではなくそれこそ「ポンッ」って感じで現れたってわけです。
この問いによって科学的秩序で構成されていた
我々の世界の意味、大げさに書くなら
「自らを支える基礎」が無くなってしまいました。
「強いものが生き残るのではなく変化する
ものが生き残る」と進化論を例にしてる
コンサルとか社長さんは多いけどそうじゃなかった、と。
**
逆にそれに便乗して怪しい宗教が創造主論を
広げたり宇宙人がいると言う人も増えそうですが
それもまた、違いますよ。
多分に、神(必然)はサイコロ(偶然)を振った。
問題はそのサイコロを振ったのが
万物を見通す神だってことでしょう。
さて神様はサイコロの出目を予め知ってたのでしょうか。
今日はそんな境界線の小噺でしたチャンチャン。
2018/06/03
「悩まずに生きなさい」と言う、気弱な善意。
道徳的自己があるということは、
自己を不完全として何処までも理想を求めることであり、
良心が鋭くなればなるほど、自己を悪と感ずるのである。
西田幾多郎「叡智的世界」より
西田の言う「道徳的な生き方」を
追求しようとする人は少なからず心の奥に潜む
未熟で罪悪感を抱えた自己の姿と向き合います。
自己理想が美しければ美しいほど現在の
ドロドロした自分に悩み苦しむのです。
ただその葛藤によって感性が鋭く磨かれていく。
西田はそう言ってるんですね。
ちなみに以前の僕はこの道徳論を見て
「こんなストイックな生き方は逆に
不自然だ」と否定してたんですが、
今はちょっとだけ違います。
やっ、もちろん全肯定はしてませんよ(笑)
ただ思想的立場で考えると「それ」が
なければ感受性はどんどん萎えてしまうんじゃ
ないかと思うんですよね。
そうなるとただひたすら幼稚で凡庸(かつ一様)
な自己しか形成できないのではないか、と。
自由を謳歌し、自由であることに満足すれば
本質を探ったり新しい潮流を創り出そうなんて
誰も思うわけがない。幸せの反対は不幸ではなく
怠惰や退屈だというのは僕の自論ですわ。
**
「悩まずに、楽に生きよう」と言う人に悪意はない。
逆に人を励まし、少しでも楽にしようと思っているでしょう。
ただ僕はその一見害の無さそうな「気弱な善意」に堕落性を見てしまう。
クヨクヨしてでも(悩みから)逃げず、
戦わないといけない時もあるんじゃないの。
水の流れに身を任せ、流れ落ちてしまえば楽だけどね。
数十万匹のホタル
梅雨に入ったここ九州、
夏の始まりを感じようとホタルを見に行ってきました。
場所は佐賀県の小城市、祇園川。
調べればホタルが数十万匹いるようで
「ふるさといきものの里100選」にも選ばれているようですよ。
川沿いを歩いていくと長い石段の神社が見えてきました。
調べると「須賀神社」というらしく
御祭神は須佐之男と櫛稲田姫なんですね(゜゜)ヘー
ちなみに肝心のホタルなんですが、
両手で数えるくらいしか確認できませんでしたね(笑)
ま、初夏の風物詩が見れたからいっか。
結構歩いてお腹が空いたので
鰻を食べて帰りました(´-`).。oO
2018/05/31
2018/05/30
ベジタリアンな夕食
式の打ち合わせの後、
とあるレストランで夕食。
ただ、週末だからか40分経っても
サラダから先が来ないという(´-`).。oO
次に行くところがあったので
仕方なく会計。するとマネージャさんが
飛んで来て謝罪&割引してくれました。
こちらこそスイマセンね。
次回はゆっくりお邪魔します(´-`).。oO
2018/05/29
2018/05/21
広島にて
イン東広島。
酒蔵で有名な西条に来ました。
赤い夕焼けが出る頃に到着。
昼間と違って肌寒いですね(°_°)
西条周辺のホテルが全て満席だったので
エリアワンへ。


ここもダブルしか取れなかったので
ここもダブルしか取れなかったので
一人で二つのベッドを使うことに(笑)

まあ、水曜まで滞在予定なんでいっか。
まあ、水曜まで滞在予定なんでいっか。
2018/05/18
目的か手段か。
理念とは永遠に続く螺旋状の性質
を持つと言うのがunreveの定義、
「現実世界で達成できないものを
設定するなんてナンセンス」と言う人も
いるでしょうが理念と目標は同じではありません。
目標はあくまでも理念の途中経過に位置するものです。
目的と手段が入れ違うように、
理念と目的も混同されやすいのです。
てなわけで今日は目的と手段のお話し。
さて上記のようなことが起こる原因は
目的と手段の相対的な関係にあります。
以前の目的は手段になる時があるということです。
例えば学生の時に良い成績を取ることは
「目的」です。そのための手段として公式を
覚えたり歴史の年号を覚えたりしますよね。
しかし卒業するあたりから良い成績を
取るという目的は希望の就職先に受かる
「手段」になります。このように目標は
相対的に入れ替わるのです。
結婚だってそうですよね、
ゴール(目標)じゃない(笑)
知識を得ること然り、目的じゃないのです。
目的「もしかして」
手段「わたしたち」
目的・手段「入れ替わってるー⁈」
(二回目)
閑話休題。
ちなみによく聞く「目標疲れ」とは
手段が目的化されたことによる
負のスパイラルのことを指します。
例えば起業コンサルはよく年収(年商?)
1000万円を目指そうと言いますが
あれってまさに手段の目的化なんですね。
(最初のモチベーションとして必要かも
しれませんが)であればその目標として
設定された金額(利益)が一体何に繋がっているのかを明確にしないといけません。
数値が目的になってしまうのはノルマです。
「達成できたか、否か」が意味となって
しまえば次はもっと高く、それを達成したら
もっと上を・・を繰り返すだけ。それが
上記の目標疲れ(燃え尽き症候群)なのです。
よって目標には意味を与え目的(理念)に
昇華させることが必要です。数値目標なら
他人から与えられることも与えることも
できますが、意味(目的)だけは自分で見出すしかない。
これはビジネスだけでなく私生活も同様ですね。
「後記」
現在この国は民主主義(平等)国家ですが
それもまた統治手段の一形態であると思ってます。
目的でもなければ目標でもない。
故に今よりも上手く国家が回る方法があれば
民主主義に拘らなくとも良いんじゃないかしらん。
失礼、ちと過激な発言でしたか(笑)
2018/05/17
基礎のない応用は我流にすぎず
この日は煮物と手羽の唐揚げで一盃。
今でこそ料理イロハがわかるんですが
昔はデタラメな作り方でした。
自分では「独創的だ」と思ってたんですが
他人に喰わせると不味いの一言(笑)
センスやオリジナリティはもちろん
2018/05/05
子供のためのネット教育について
精神衛生上の理由から最近まで
ネットを見てませんでした。
今はデマやフェイク、そしてトンデモ主張が多い。
あとSNS内の誹謗中傷ね。
見てるだけで疲れてくるのは
僕だけじゃないでしょう。
クレバーなリベラル系ってネットには
たくさんいるんだろうけど彼らの大半は
無視しますからね。
(まあそれが一番賢いやり方なんでしょうが)
ただ、これを真に受ける若者たちが
増え続けるのをおじさんは黙って見れないのですよ。
今日は子どもの日だし、タイミングも良いじゃないですか(笑)
「子供にネットを与えるな」は暴論。
そして学問は自由。何を学んでも良い。
大事なのは疑う力、つまり「嘘」を見抜く能力ではないかな、と。
「研究ごっこのパラドクス」では
古今東西、冒頭のような現象の
根っこが同じであることを説明しています。
ちなみにこれ読めばこの先見る必要ないです(笑)
最近の自己啓発やスピリチュアル
業界にそのまま当てはまりますね。
自分こそ本物だ、これが新しい常識だと
声高に主張することで今までの社会に対し
ルサンチマンを抱いている人々の溜飲を下げ、共鳴させる、と。
彼らにとって主張=集客(儲け)。
真実よりも利益が大事なんですね。
むろんバカの壁よろしくこういった状態で
良識ある対話空間など保つことができない。
自説を否定したら彼らのアイデンティティ、
つまり利益が消えちゃうわけですから
悪いことは悪い、間違いは間違いという
当たり前の認識ができなくなってしまうんです。
学生諸君、彼らの発言には気を付けましょうね。
特に「何かを極端に擁護(愛)している人」には。
「後記」
このブログで何度も書いてますが対話が
成立するには「前提(根幹)の共有」が必須です。
上記のサイトにも書いてますが愛煙家と
嫌煙家が「喫煙の楽しみ」をいくら議論しても
「タバコを吸うこと自体」が共有されてないので
水掛け論になるだけということ。故に真実を
検証する対話には「根拠や証拠」が前提条件となるのです。
2018/04/30
バカのKABE
どれだけ言葉を尽くして説明したところで
わからない人にはわからないし、
わかっている人はすでに了承しているので
説明する必要がない、
これだけ書くと偉そうなんだけど
この分からない人には二種類あって
ひとつが「分かろうとしない人」、
もう一つが「言ってる意味が理解できない人」です。
前者とのあいだには大きな壁がある。
それがバカのABE、もといバカのKABE。
馬を水辺に連れて行くことはできるが、
水を飲ますことはできないとはよく言ったもんです。
**
無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり
2000年以上前、ギリシャのおっちゃんは
そう言いましたが、なーんにも変わってませんね。
わからない人にはわからないし、
わかっている人はすでに了承しているので
説明する必要がない、
これだけ書くと偉そうなんだけど
この分からない人には二種類あって
ひとつが「分かろうとしない人」、
もう一つが「言ってる意味が理解できない人」です。
前者とのあいだには大きな壁がある。
それがバカのABE、もといバカのKABE。
馬を水辺に連れて行くことはできるが、
水を飲ますことはできないとはよく言ったもんです。
**
無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり
2000年以上前、ギリシャのおっちゃんは
そう言いましたが、なーんにも変わってませんね。
君の名は
最近、ポジティブ思考だけでは
ダメだと言う説が広まってるようですね。
ネガティブな気持ちを否定してはだめだ、と。
それって昔のまっとうな人が言う
「楽あれば苦もあり」と一緒でいちいち
大声で叫ぶものではないんでしょうが
専門的に書くとありがたい言葉のように感じるから不思議ですね(笑)
見れば「成功するためにはポジティブ
思考を捨てなさい」と言う本まで出てる始末、
まあ、この「成功」ってやつが
目的「もしかして」
手段「わたしたち」
目的・手段「入れ替わってるー⁈」
2018/04/28
2018/04/27
2018/04/26
烏滸
過去のブログを読み返してみると
説教くさいこと書いてるなぁと思う
ことがままあります。
周りには日々の思索を残す日記だよ
ボケ防止だよ、と言ってはいますが(笑)
自己顕示の欲が顔を出しているものもあるな、と。
もしくは烏滸がましい偽善の精神か。
まあ、どちらにせよロクな
もんじゃないのは間違いない。
難しいですね。
開かれた日記を書くというのは。
このバックボーンがあるおかげで
鬱にもならず気楽に生きているのだけれど
それを言葉にして表現すると不思議と重たく感じますね。
何にせよ「お伝えしてます」みたいな
謎の上から目線にならない様、気を付けたいなと思ってます。
「補足」
おこがましいの「おこ(をこ)」は、「馬鹿げていること」「愚かなさま」を意味する名詞として、かなり古くから使われているため語源は不明。 また、「をこ」は漢字で「痴」「烏滸」や「尾籠」とも書かれる。 「烏滸」は、後漢時代の中国で黄河や楊子江に集まるやかましい人達をさしていた。
2018/04/25
歪んだ愛
嘘はつかなくても悪い事は出来る。
もし嘘発見機に止まらず、これが
人間観察装置として、例えば閻魔の
持っている照魔鏡のような性能を
備えるに至ったならどうなるだろうか。
この威力に屈服しない人間はいなくなる
だろう。誰にも悪い事は出来なくなる
だろうがその理由はただ為ようにも出来ない
からに過ぎず、良心を持つ事は誰にも無意味な事になろう。
人間の外部からの観察がそれほど完壁な
機械ならばその性能は理論上人間の
性質を外部から変え得る性能でなければならない筈である。
それなら人間を威圧する手間を省いて
人間を皆善人に変えればよい。そうすれば彼等が
もはや人間ではない事だけははっきりわかるだろう。
私は、徒らな空想をしているのではない。
人間の良心に外部から近づく道はない。
無理にも近づこうとすれば良心は消えてしまう。
これはいかにも不思議な事ではないか。
人間の内部は見透しの利かぬものだ。
そんな事なら誰も言うが人間がお互の眼に
見透しのものならその途端に、人間は生きるのを止めるだろう。
何んという不思議か、とは考えてみないものだ。
恐らくそれは、あまりに深い真理であるが為で
あろうか。ともあれ、良心の問題は人間各自
謎を秘めて生きねばならぬという絶対的な条件に
固く結ばれている事には間違いなさそうである。
考えるヒントより
乱読癖のある私が選ぶ本に一貫性はないが
愛読するものは不思議と同じ場所に行きつく。
それが上記の「良心」である。
昔から「愛」という言葉に違和感を
感じていた。もちろん親の愛や家族愛、
人類愛を否定するつもりはない。ただ、
かのオウム信者やイスラム過激派といった
人たちの行動原理は何かと考えると上記のような愛、
つまり(信仰愛)ではないかと思うのだ。
今の政権だって組織愛に基づいた行為だろう。
極右だって国を愛している。属する組織、
集団だけを正しいと思い、擁護しているのだ。
それはつまり自分に都合の良い者だけを愛し、
愛するもののやっている善悪がわからなくなっている歪んだ状態なのではないか、と。
愛は動物にだって教えることはできる。
毎日餌をやり世話をすれば犬猫は懐く。
場合によっては虎だってなついてくるだろう。
しかし動物に良心をどれだけ説いても理解することはない。
悪や獣にも愛は存在するが良心だけは
人間にしか存在しない。そして今のような
歪んだ愛の世界にブレーキをかけるのは
個々の良心ではないかと思っている。
なるほど。世界に絶対的な(固定された)
善悪というものはない。判断するのは
自己の中心にある真心だろう。
それは個人の感性のうちにしか生きられず
組織化されたり言語化されるという客観的な
力を持つことができないのだ。
はっきりと命令もしないし強制もしない。
だから、私達は皆ひそかにひとり悩むのだ。
それも、悩むとは、自分を審くものは自分だと
いう厄介な意識そのものだからだ。
公然と悩む事の出来る者は、偽善者だけであろう。
恐らく、良心とは、理智ではなく情なのである。
※太字は全て引用です。
2018/04/21
週末、徒然なるままに。
心が疲れている時、一人になりたいと
言う人と誰かと一緒に居たいと言う人がいます。
僕は前者なんですが、多分に感覚を閉じる
ことで心の回復を図っているのでしょう。
人は辛いことや苦しいこと、悲しいことが
あると感覚を閉ざすことでそれ以上心が
傷つかないようにしますからね。
まあ現実逃避は昔からある処世術、
暫くすればまた開かれるでしょうが
現代社会では上記とは異なった現象が
起こってるように感じますね。
特別辛いことがあったわけでもないのに
「感覚を閉ざす」人が増えてる。しかも急速に。
まるで理性の判断を優先させることで
感性の働き自体を否定(拒絶)しているかのようです。
こういった感覚の閉じ方は危険ですね。
非常に危ういものを感じます。
そういった人たちは「感じる」ことを
否定する代わりに「理解」しようとします。
例えば最近の医者は目の前の患者を診察せず
カルテの数値だけで判断し薬を処方するでしょう。
情報や知識や数値・データが「現実」であって
目の前にいる患者は現実ではないんです。
感性と分離した自己は慢性的な孤独感に
襲われてしまうと言いますが納得ですね。
だってその人が見ているのは脳(理性)が
作り上げた架空の世界ですから。
2018/04/19
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