2017/02/17

パンドラの箱



こんばんわ、坂口です。
最近色々とおかしな感じですな(゜゜)



50℃に迫る熱波が襲うオーストラリア。
逆に強烈な寒波で死者が100名を超えた台湾。
異常先進国(?)のアメリカなんて、
下の図のような状態だとツイッターで呟かれてました。
(ホンマかいな)


まるで混沌が常態化しているような。
世界中に厄災が広がっているような。



誰かがパンドラの箱を空けたのかしらん。




小林の言葉を借りるならば、我々は
いつもパンドラの箱を空けてしまい
その「取り返しのつかない過去」を惜しむといいます。


歴史は決して繰返しはしない。
たゞどうにかして歴史から科学を
作り上げようとする人間の一種の欲望が
歴史が繰返して呉れたらどんなに
好都合だらうかと望むに過ぎぬ。
そして望むところを得たと信ずるのは人間の常である。

「ドストエフスキイの生活」より


歴史とは繰り返される精神によって
取り返しのつかないことをやってしまうことだ、と。


つまり因果ではなく愛惜と言えるでしょう。
まあ中原中也から長谷川泰子を奪った
お前が言うなって感じですが、僕を含め、
経験主義者はやらないと分からないんです。


反面バカはやっても分かりません。
だから反省もせず、あれほどの事故が
起こっても原発を推進したりするわけです。


想像力の欠如した楽観的未来予想は
こういった愚行をいつも冒してしまいますね。


✍✍


閑話休題。
アインシュタインは晩年、自分の人生の
大半を費やした研究によって原爆が作られて
しまったことを非常に後悔しました。


自分が「愛した」相対性理論によって
パンドラの箱を空けてしまった、と。
遡ればアダムとイブも同じことをしてますね。


我々は何か大切なものが失なわれた時、
初めてその「大切さ」に気がつくのです。
そして、「愛」は見方を変えれば強引で
強力な人間の習慣であって、抗うことが困難なものです。


故に、だからこそ我々は愛(希望)によって
その大切なものを破滅(絶望)させてしまう、と。


そう考えると最後に残った希望とは、
最大の厄災かもしれませんね




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