2016/12/03

余計なものを「御仕舞(おしまい)」にする







独自性の前提は足し算じゃなく引き算だと思ってます。「どれだけ増やすか」じゃなく、何を「そぎ落とすか」。




我々の思考形成の過程には幼少期の
記憶を始め、そりゃもう沢山の情報やら
知識やら常識やらが引っかかっているわけでしょう。



もちろん、それは良い意味で「引き出し」でもあります。心のフックに引っかかった情報がある日突然素晴らしいアイデアになることもありますから。ただ、それが単に行動の選択肢としてストックしているのであれば、膨大すぎて迷ってしまうのではないでしょうか。



好きなことが「ありすぎて」分からない。
何か始めようとしても情報を「入れすぎて」動けない。
「聞き過ぎて」、「知り過ぎて」。
結果、身動きが取れなくなってしまうでしょう。




だったらそれを捨てればいい。




ってことで、知識を「回帰論」によって
語り尽くす(御仕舞)のが私なりの引き算、
「舞」、「まわる」、円運動(回帰)です。



***


何をそぎ落とすかは自然派生的な感性に
任せりゃいいと思ってます。




本来の直感って「何にも求めてない自分(素)」が根っこにあるから。このブログも「自分らしく書いてやる」って意気込んでるときほど、すんごいつまんない記事を書いてますよ(笑)




何でもかんでも足し算的に増やして
かえって息苦しくなってると感じている人は
引き算(御仕舞)にしてみてはいかがでしょうか。




相手を何かのパターンで分析し、
仕草や癖で「そういう人だ」と判断しない方が
全然楽しく会話できます。



強みだ、弱みだ、天職だ、適性だと
「今の」自分を細かくしない方が
よっぽど最適なものを掴める場合もあります。






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