2016/12/03

余計なものを「御仕舞(おしまい)」にする




今日はunreveの練成講座をちょっと紹介(゜-゜)だす




さて、あくまでも個人的な体験からなんですが
独自性の前提は足し算じゃなく引き算だと思ってます。



つまり「どれだけ増やすか」じゃなく「そぎ落とすか」。




我々の思考形成の過程には幼少期の
記憶を始め、そりゃもう沢山の情報やら
知識やら常識やらが引っかかっているわけです。



もちろん、それは良い意味で「引き出し」です。
心のフックに引っかかった情報がある日突然
素晴らしいアイデアになることもありますよね。



ただ、それが単に行動の選択肢として
ストックしているのであれば、膨大すぎて
迷ってしまうだけではないでしょうか。



好きなことが「ありすぎて」分からない。
何か始めようとしても情報を「入れすぎて」動けない。
「聞き過ぎて」、「知り過ぎて」。
結果、身動きが取れなくなってしまうでしょう。




だったらそれを捨てればいい(゜-゜)よね。




ってことで、僕は知識を「回帰論」によって
語り尽くす(御仕舞)方法をやってます。



「舞」は「まわる」、つまり円運動(回帰)です。










ちなみに(これもまた経験上ですが)
何をそぎ落とすかは自然派生的な感性に
任せりゃいいと思ってます。




端的に言えば「やってて楽しいか、否か」が
そのまま独自性になる気がしますね。
無理に「本当はどうしたいか」なんて考えても
あんまりいい結果にはならないんじゃないかな、と。



☞☞☞




最近の独自性や自己表現を教えてる
人を見れば、みんなキリストちっく。
「求めよ、さらば。。。」みたいな感じ。



でも、その前提からの自己表現ってのは
「共感を求める」か「優越感に浸るか」
どっちかにしかならない(笑)



本来の自由な表現ってむしろ逆で
「何にも求めてない自分(素)」が大事なんじゃないかしらん。




だいたい何かを「求めてる」時って
息苦しいし体も心も重くって、シンドイ。
軽やかな自由とは逆の位置にいます。




もちろん前例のないところから新たに
作り出す際はそういった重さもあるけれど、
「自由に表現したい」ってだけなら必要ないもの。



ちなみにこのブログはそんな感じ。
(結果など)何にも求めてないからこそ、
気軽く、好きなことを書いてます。
(ちょっと好き勝手過ぎな時もありますけど)



でもこれが「ブログで集客するように」とか
「読者を増やそう」とか「どれ、ワシが教えてやるか」モードになると全然ダメ。



勝手に行動規範みたいなもんが出てきて
勝手に自分を縛ってくる。だからでしょうか
「自分らしく書いてやる」って思ってるときほど
すんごいつまんない記事を書いてます(笑)



そんなわけでずいぶん前から書きたいときに
「書きダメ」したやつをアップするようにして、
書きたくない時はルーティンワークを淡々とやってます。




作業は技術的なもので進める以上、
自分ってやつは関係ありませんからね。





契約書のチェックとか、数値入力とかやってる時の僕。





何でもかんでも理解しようと求めた結果、
かえって息苦しくなってると感じている人は
一度「御仕舞」にしてみてはいかがでしょうか。




相手を何かのパターンで分析し、
仕草や癖で「そういう人だ」と判断しない方が
全然楽しく会話できます。



強みだ、弱みだ、天職だ、適性だと
「今の」自分を細かくしない方が
よっぽど最適なものを掴める場合もあります。




(先読みして書いちゃいますが)
それをしないことで自分が
薄っぺらくなるわけじゃないですからね。







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