2016/12/27

のんべえの人体実験




この間買ってきたぐい呑みで晩酌。
日本酒よりも焼酎が似合います(゜-゜)



この日は白霧島




「人間が習慣的に酒を飲むのは
様々な理由があるけど、結果は大抵同じ」と
言ったのは村上春樹さんですが、ごもっとも(笑)



酒によって大勢が別人に、バカになる。
しかし実際は逆であって酒を呑むことで
「隠されている」本性が現れるわけでしょう。
泥酔すれば完全に自我は消えてしまいます。



なるほど、
上手に酔っぱらうことができれば
自我ってやつが徐々に機能しなく
なってくるのが自分でも分かります



明るくなる人、説教をする人。
ワンワン泣きだす人に、すぐ寝る人(僕ね)



そして、それを眺める
もうひとりの「自分」がいるわけだ。



この自己二重性は
呑んべえ上級者には分かるでしょうな(笑)



🍶🍶🍶



多分に、自我は生命活動の「中心」ではなく
社会的に生きていく上で必要な「パーツ」でしょう。



その証拠に幼児には自我が
ありませんし、寝ている時だって
自我は働いてません。



しかし、生命はちゃんと活動しているわけです。



では何が自己の中心かと言えば、
このブログでお馴染みの志向性。
個人的にそう思ってます。



志向性と生きる力(生命力)は同義、
それは生態学でいうホメオスターシスではなく
与えられた場所に適応できる力であり、
手持ちの資源を有効に活用できる能力(意思)のこと。



まあ、これは長くなるのでやめときますが、
とりあえず酒に罪はないってことですわ(笑)





「後記」



池田晶子さんは哲学書に沿って
真理の追究をやってませんでした。



ではどうしていたかというと、
浴びるほど酒を呑んでいたんですね。
彼女にとっての酒とは憂さ晴らしではなく
思考能力を冴えさせるための道具だったんです。



酔う事で異境(異郷?)である存在や
宇宙に思いを馳せた、と。
篠田桃江さんとはまた違った掴み方ですね。



悲しいかな、その道具に頼り過ぎたのと
世間の有様への絶望から若くして亡くなってしまいました。



彼女を思うと、いつも俗物主義の末世に
咲いた仇花のように感じてしまいますね・・・。



貴方の試みが同時代において
孤高であったように、私の闘いも
孤立無援であります。


精神的状況は、貴方の頃よりはるかに悪い。
俗悪化、痴呆化、サル化傾向は
もう止めようがありません。


でも私は、これをするよりほか
することがないのですから、
これをするよりほかないのですよ。


おわかりですよね。
いつか、貴方を唸らせるような、
凄い作品をものにしてみせます。


「人間自身考えることに終わりはなく」より


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