2016/10/07

自閉的自由な一匹狼




一人で自由に行動する人をよく
あの人は一匹狼だからね」と言いますが、
本来の狼は非常に社会性の非常に高い
動物だと言われてますね(゜゜)




特に夫婦の絆は強く、一生添い遂げるとのこと。
そんなオスとメスのペアを中心とした群れは
「パック」と呼ばれ、それぞれがナワバリを持つようです。




うーん、どこかに狼みたいな女性、いませんかね(笑)




失礼、てなわけで今日のテーマにいきますか(゜゜)







さて、狼の群れには非常に厳格なルールがあり、
そのルールに従わないものは群れから追放されると言います。


これが俗に言う「一匹狼」なんですね。
群れから外れた狼はどこにも受け入れてもらえず、
一人で食事を探さないといけなくなるのです。



つまり、本来の意味の一匹狼とは
「どこの共同体(群れ)にも所属しない」のではなく、
どこの共同体からも受け入れられない」ってこと。



我々が作っている概念とは違うんですね。
決して格好良いものではないのです。



☞☞☞



昨今、共同体の持つ秩序に支配されることが
「全て」煩わしいと感じている人が多く、
多様性だの一匹狼だのと都合よく使ってるみたいです。



しかし、それは単に嫌だ、嫌だと言う
駄々っ子の思想に過ぎない。



なぜって我々は社会に所属している「ヒト」でしょう。
食う、食われるの食物連鎖の世界から
外れた時点で、野生動物とは全く違うのです。



自由に生きる、自分らしく生きる。
それを受けいれてくれる人だけでいい。



いい年した大人が片手落ちの思想である
自閉的自由を勧めてますが、ありゃ戯言ですよ。



本来のそれは自分の道を進むため、
責任を持って選択しているわけでしょう。


共同体から外れることで起こる弊害も
自分事として引き受けている。



つまり葛藤と覚悟が必要なんです。






誰かの言う偽物の自由で自分を偽ったり
誤魔化してまでやりたけりゃ、好きなだけすればいい。



やがてそうやって誤魔化す自分をも
誤魔化してしまい、一体何が「じぶん」なのか分からなくなるから。



本来は美意識を捨てたゲスに
ならなくても自由になれる。
僕はそう思ってます。




「後記」



そんな自由を騙る人を見れば
まるでそう思わないと幸せが逃げてしまうかのよう。



頑なになって人の意見を必死に追い払い、
自分の幸せを理屈で守ろうとしているみたいです。




インテリなんですよ、彼らは。




そこで、このブログで度々出てくる
「なぜ徒党を組むのか」を引用します。




実に無責任ですよね  
今日のインテリってのは 


「韓国のある青年を救え!」 
 君、責任とんの? 



とれやしないよ。 
 責任なんかとらないことばっかり、 
人は言うんですよ。わーわーわーわー 


よく見てごらんなさい。 本当に責任をとってるか? 



自分の言うことに責任ないんです。 
信ずるっていうのは責任をとることです。 


僕は間違って信ずるかもしれませんよ。 
万人の事なんて、考えないんだからね僕は。 
僕流に考えてるんですから、 もちろん、僕は間違えます。 



でも責任はとります。 それが、信ずることなんです。 
信ずるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるんです。 


そうすると、人間は、集団的になるんです。 
会(解)が欲しくなるんです。 



自分でペンを操ることが信じられなくなるから、 
ペンクラブが欲しくなるんです。 
ペンクラブは、自分流に信ずることはできないです。 
クラブ流に信ずるんです。 んなこたぁないです。 


クラブ流に信ずるから、 
イデオロギーってものがあるんじゃないか 
自分流に信じれないから、イデオロギーってものが
幅を利かせるんです。 



だからイデオロギーには匿名ですよ。常に。 
責任をとりませんよ。 



そこに恐ろしい力があるじゃないですか。 
それが大衆、集団の力です。 


責任を持たない力ってのは、 
そりゃあまあ、恐ろしいですねぇ。 


集団っていうものは責任を取りませんからね。 
どこにでも押しかけますよ。 
 「自分たちが正しい~」、ってね。 



こういうときの人間なんてものは 
恐ろしいことになる。 


でも、その恐ろしいものは
集団的になると現れる 
僕らのもっている精神ですよ。悪魔ですよ。




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