2016/08/17

柳田圀男の「ハレ」と「ケ」の概念






こんばんわ、坂口です。
盆も終わり、残暑となってきましたね(´-`).。oO
今年の夏もあと少しです。




さてさて、この時期ってどこでも
たくさんのイベントや祭事があってるんですが
この国ではそんな年中行事と日常生活を区別していました。



ここでも何度か登場している柳田圀男氏
それをハレ(晴)、とケ(褻)のリズムと呼びました。
単調な日常を崩す「揺らぎ」の役割がハレである、と。



例えば「晴れ着」ってその名残なんですよ(゜゜)



反面、普段着は昔「褻着(ケギ)」。




柳田氏は、そんなハレとケの循環の中には
稲作文化を基礎とする民族生活があったと言います。
他にも様々な説を学者は出してますが、まあ似たようなものでしょう。



それは対立するのではなく循環の概念、
遡ればそれは世阿弥の説く「男時・女時」にも通るもの。



この循環(円環)の状態こそ、
統合であるというのが僕の自論なんですが、
現代は「ハレ」をあまりにも求めすぎていますね。




☞☞☞




気分と天気は似たようなもの、
ともすれば人生だってそう。



晴れ時々にわか雨、曇りのち雨。



所により一時激しく。
その後、緩やかな、穏やかな・・・・・・
雪も降れば、台風も来る。




晴れてばかりは異常なんです。
雨ばかりもおかしい。



循環してこそ本来。そうじゃないですか。



☞☞



多くの人は「晴れ」が幸せ(成功)だと言いますが、
そんわけない。僕はそう思ってます



自分らしくありのままに自由で能力を
最大限に発揮する環境を作ることが
私の人生を生きてる証だ最高だ、最高だ。




僕はそんな早口言葉のような理想を
理想だと思いませんね。
本来の幸せは年中晴れにすることじゃない。




まるで春夏秋冬のような喜怒哀楽、
人生はその経験によって味わいを増し、
循環によって豊かな恵みを得る。



つまり循環の中にこそ、幸福への志向性が
あるんじゃないですかね。



なるほど、成功した人を見て成熟しているとは
感じないけれど、逆はそうじゃない。



つまり成熟は成功を包括している、
そういう事でしょう。



苦労して成功した人を称賛している人に対し、
「苦労しなくて成功した方が良いだろ」と言う意見は
ある意味もっともですが、




「山登りに意味があるか」と聞かれても
答えられないじゃないですか。





☞☞



幸福の志向性はすなわち円熟への志向性。
unreveでは、これを円環螺旋の理念としています。



それがなければ同じ「ハレ・ケ」をぐるぐると回るだけ。
持続可能性(継承性)を持つことで、その螺旋は引き継がれます。




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