2016/06/20

かのように、かのやうに



東洋に従えば保守になり過ぎ、
西洋に従えば、急激になる。


葛藤や衝突はこの二要素が争っている。



これは森鴎外の随筆に書かれたもの。
統合への道は昔から永遠のテーマなんでしょう(゜゜)




男女から組織から国家まで。



統合(棲み分け)されないまま、
統一(主導権争い)を目指していますね。






白は正義、黒は悪。
白星は勝ち、黒星は負け。



存在論から見れば、白も黒も灰色も
ただの色であって関係ないんですが、
我々は「とりあえず」何かをシンボルにしないと
何一つ、前に進めないのかもしれません。



なるほど。鴎外がハンス・ファイヒンガーの
「かのやうにの哲学」に出会い、それを
解決の糸口としたのもそうでしょう。



本当は自由や倫理や義務は存在しないし、
霊魂不滅や輪廻転生だって証明出来ないけど、



我々はその存在しないもの(フィクション)を
あたかも存在するかのように(ノンフィクション)
考えなくては秩序が作れない、と。



故にあらゆる価値は「意識した嘘」によって
理想である「かのように」成立している。
これがファイヒンガーの「かのように」の哲学です。



アドラー心理学だってそうですね、
絶対的に正しい価値を人間は知りえない以上、
「便宜的な価値基準」として、共同体感覚を提唱したのです。




価値であるかのように、
意味であるかのように。




☞☞☞




ただ、これだけでは魂無き折衷案
キマイラ(合成獣)や両性具有のように
異なる存在を無理矢理統一している気がします。




幾何学も同じであると言うのは理由にならない
成立するの「が」幾何学だと言えば、それまででしょう。



本来、エチカの直観知や鈴木大拙の言った
「日本的霊性」というものを我々は持っているはず。



しかしその姿を見ることはできない、
釈迦の「歩くために歩く」とは、そのようなものかもしれません。







マネジメント(秩序)を追求すればするほど、
違う場所ではエントロピーが増大している。



もちろん、散逸構造で考えれば必ず
そうなるとは限りませんが、
やがて選民か排除(主義)に陥ってしまいますね。






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