2016/06/01

自然により添って※2013年記事、再アップ




科学の道を少し進むと神から離れるが、
さらに究めればこれに回帰する



これはルイ・パストゥールの言葉、
なるほど、世界を調べれば調べるほど、
科学者たちは神の仕業を目にしてしまうのかもしれませんね。



例えば科学の発達によって、我々を含めた世界は
あり得ない確率によって存在していることが分かってます。



ベンローズによれば、ビッグバンが生じる確率は
10の60乗分の1、



あえて書くとこんな数↓
1000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000




そんな気が遠くなる確率から誕生した宇宙で
我々が人間として生まれる確率はどれくらいかと言うと、





4の30乗分の1。





(0が入らないので書きませんが)
これは、宝くじの一等が100万回連続で当たるのと同じ確率のようです



頭で考えても到底、理解できませんね(゜゜)
前もって全て(全知)が分かっていたとしか、思えない。



だからお釈迦さんは人間に生まれたことは
「ありがたい(在り難い)ことだ」と言っているんでしょう。



奇跡は日常で起こってる



そんな自然の織りなす奇跡に
我々はつい、理性によって余計な手を加えてしまいますが、



世界は秩序そのものであって、
我々が秩序を与える側ではない。
僕はそう思ってます。




アレグザンダーの言うように、
「体系」や「手順」とともに作業をしないと
環境が混沌に陥ると思い込んでいる人は多いけど、
自然の秩序と調和する側は人間の方でしょう。



僕がやってる組織論は、そんな(自然)感性への回帰です。



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