2016/06/17

不都合な真実




こんにちわ、坂口です(゜゜)マイド
今日は前回お伝えしたテーマでも。





あっ、その前に一言。











重めーぞー。まちがっても
お昼に読むもんじゃねーぞー









はい。
では、アムロ行きまーす。









さて、ドストエフスキーと言えば罪と罰が有名ですが、
それに白痴、悪霊、未成年、カラマーゾフの兄弟を
加えたものを「後記5大作品」と言いまして、
そのどれもが人間の精神性を見事に書き現しています。



中でも「カラマーゾフ~」は最たるものでしょう。
その核心部分は無神論者である次男(イワン)が三男の
アリョーシャに劇のシナリオを語るシーンにあります。








教会が権力を持ち、異端審問によって
民衆支配が安定していた時代、



突然キリストが現れ、説教を始め出す。
民衆たちはすぐにキリストだと気づき、集まってきます。



すると教会の最高権力者である大審問官が
やってきて、驚くことにキリストを牢屋に入れてしまうのです。



深夜、牢に入れられたキリストの元へ
大審問官がやってきて、無言の彼に向かってこう言います。




お前は我々が作った戒律(制度)から
民衆を解放し、自由にしようと信仰を説いているつもりだが、
そんなものが一体、何になるというのだ? 



自由になったところで、あいつらは
どうしていいか分からない。



愚かで勇気のない民衆からすれば、
お前の言う自由ほど厄介なものはなく、
重荷にしか感じないのだ。



だから我々が権力によって自由を取り上げ、
その代わりにパンの保証をしているのだ。


見ろ、彼らは嬉々として我々に従っているだろう。
これで世の中は見事に治まるではないか。


それなのになぜ、我々の邪魔をしに来た? 
なぜ、民衆にまた重荷を与えようとするのだ?



※本文を勝手に解釈してます



☞☞



かいつまんで書いたので分かりにくいでしょうが、
大審問官は単なる「権力に固執した人間」ではありません。



もちろん、キリスト(真実)が出てくれば、
教会の体制が崩壊してしまう以上
「不都合な真実」ではあるのですが、
大審問官はキリストを「真実」だと思っているのです。



ただ、その真実を「か弱い民衆の立場」から
否定しているんですね。



天のパン(自由)ではなく、服従してでも
地上のパンを選ぶ民衆の立場から、ということです。






神を信じる有神論者であり、神を否定する
無神論者でもある大審問官(イワン)、



彼は民衆が少しでも幸福であると
「錯覚するように」、パンや唯物原理を与え、
「体制批判をしないこと」をその条件としました。



ファシストの原理も似たようなものですね。
理想と現実を徹底的にすれば、
必ずこの根幹に辿り着いてしまうという事でしょう。




理想を手にする事ができるのがごく
一部の強き者であるならば、
残った大半の弱き者は救われることはない。



しかし、弱き者は悪だろうか?
むしろそれが人間たる証拠ではないか?




そして、それを否定するのならば、
なぜ神は排除されるような存在を作り出したのか?




複雑ですね、軽蔑と愛情が入り混じってます。
しかし、真面目な人ほどそうなってしまいがちです。




故に大審問官は弱き者を救う側の神になった。
たとえそれが真実から離れたとしても、
それで幸福なら良いではないかと。



まさにこの「自由意志」こそ、
もう一つの真実が生まれる瞬間なんですね。




つまり、それは自由からの逃避と言う名の自由なのです。




このテーマは科学が発達した現代であっても
失うことはない。むしろ今だからこそ、でしょう。




一は現実世界では必ず分岐(多)され、
そのどちらかが排除する側に向かってしまう。



故に分岐されるギリギリの間、
揺らぎのある境界線を認識するしかない。



二元の超克とは、そんな加減でしか
得られないのではないかと思ってます。







閑話休題。
書きだすとキリないんでこれくらいにします。
続きに興味がある方は、読んでみてはいかがでしょうか。





というか、なんで前回の動画で
この本が頭に思い浮かんだんだろ。。。(゜゜)ま、いっか




最後に、
もし読者さんの中で違う考察をされた方がいれば、
対談したいです(=゚ω゚)ノしましょ、しましょ






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