2015/05/20

無理な習慣はしなくていい



ウィリアム・ジェームズの名言
考えが変われば、意識が変わる 
意識が変われば、行動が変わる 
行動が変われば、習慣が変わる 
習慣が変われば、人生が変わる 
人生が変われば、運命も変わる 


マザー・テレサの言葉 
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。





「習慣化によってあなたの人生を~」
とかありますよね。




最近は習慣化のアプリとかあるようです。
無意識にやってしまうようにしよう、と。




んー・・・・習慣化ねえ。。。。




つまり何かしらの行為を「意図的に」
続けられるようにするってことでしょう。




これって天の邪鬼の僕には無理。
正直しんどい(笑)




そもそも習慣化の何が一番難しいかというと、
内容じゃなくて、それを日々の生活に「組み入れること」でしょう。



パターン化した生活リズムの中に
「意識的に」何かを入れる、これほど難しいものはありません。




よく歯磨きを習慣化の例にしていますけどね、
あれは自分の中にものすごい「動機」があるからこそ
毎日できてるわけで。




人生の中に習慣化させたい、
一生やり続けたいほどの動機、ありますか?




例えば「毎日腕立て伏せ」を
習慣化しようとしても、続かない人多いじゃないですか。
(僕だけですかね(笑))



毎日10回を3回にしてもそう、
3日に1回にしたとしても難しい。



極論
「寝る前に必ずピースサイン」だって難しいでしょ(笑)



やってる「行為」が難しいんじゃない。



「自分のリズム(パターン)」の再構築が難しいんです。










ビジネスでも習慣化が謳われてますけど、
自分のパターン(拍子)ほど手強いものはない。



例えばブログをやってない人に
「ブログを1日3記事書きましょう」とか
アドバイスするじゃないですか。




すると「何を書いていいかわかりません」とかなる。





そこで「無理なら1日1記事でもやりましょう」
とか言っても、そもそもの前提が違うわけです。




これをたった140文字のツイッターにしたところで、
本人にとって意義がない限り、続きません。




なぜなら内部派生じゃないから。




これが集団となればなおさら、
何かしらのペナルティを与えない限り、不可能です。




だから逆に強制せず、場から、
内部から作るわけです。
※詳しくは動画「寺子屋」で。









「栄える拍子」と「衰える拍子」は、
そんな頻度と時間の関係構築を表しています。




これは「マイペースでダラダラやろう」でも
「その時のノリで決めよう」でもありません。
(紙一重だけど)




例えばこのブログを「見る頻度」、
二日に一回の人もいれば、毎日の人もいるでしょう。
見る時間帯だってそれぞれ違います。




つまり、揺らぎこそあるけれど、
「不定期な定期として」見てる、ということです。




本部は、そんな生活リズムの
一部として成り立つような「不定期な場」を作る。
FBでもアメブロでも何でもいいです。



そうなると、(例えばこのブログ)は意識的に
集められたものではなく主体的自然派生となり、



そこから生まれる「拍子」が組織のリズムとなります。
これがハイエクのいう権力とは無関係な自生的慣習でしょう(多分)。



☞ ☞



毎日「つい」訪れるような公私混同された場を作る。
まずはそこからです。




一方的な伝達事項ばかりのクラウドはペケ。
そんな突拍子な場に求心力はありませんからね。




気にしなくても、本部に寛容さと情熱があれば
自然と集まってきます。




これは以前書いた「ゆるやかな束縛」という
加減の定義ですね。




実際に会う「アナログ」の頻度も
そんなデジタルの共有地で生まれるんですが、




考えたら、これはオフ会に近いですね(笑)





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