2015/04/08

星のように急がず、しかし休まず。





成長経済社会では「挑戦」の繰り返しによって
これだけの進歩と発展が実現できたのですが、
成熟期ではその意欲が逆に焦りとなっている気がします。



物財の増加は幸福持続性と直結するか?
どうやらそうではないようです。



だからと言って国民幸福度一位のやってる事が
常に正しいかというとそうじゃない。



例えばプータンは国民の9割以上が
幸せだと答えていたのですが、


近代文化が入ってくることによって
国民のあり方が変わってきているといいます。



つまり仏教の「教え」を身に付けていても、
「外部」は侵入してくるってことでしょう。



仏教では幸福にならないというのではなく
「内部派生」でないと、流されてしまう、と。



今日はそんな所から。。。。








現在、思想でも理論でも文化芸術でも
何でもそうですが、



多くの人が興味を持っているものは
常に新しいものです。



より新しければ価値があり、
これまでの形式や形態を崩せば
それは「イノベーション」として評価される。



まるで独創性と進歩こそが正義だと言わんばかりに、
「創造的破壊」が使われています。



確かに、新しいものが生まれ、育ってる間は
「より」進歩した世界として認識されますが、



「創造と進歩こそ正義」という、
美意識に取りつかれている可能性だってあるわけです。



☞ ☞



明治維新後も似たような状態だったようで、
あらゆる流派を破壊し、欧米の近代文明を
取り入れていました。



先人の道に習い、伝統を学ぶことは
単なるレッスンプロ的な復古論だとされたのですが、



やがて「新しいもの」は「本当に欲しいもの」では
なかった、と気付いたのです。




我々の精神だってそうでしょう。
刹那的な興奮や刺激なんてすぐに飽きてしまう。



ビジネスでもそう、表層的な技術で
消費者を喜ばしたり、驚かせるのには限度があります。




☞ ☞



そもそも破壊を伴う独創性は、増大と成長が
見込める環境がある時のみ、通用する限定的なもの。



地球資源で例えれば明らかですが、
限界の状態で技術だけ革新すれば効果は遁減する。
当たり前の話です。




芸術家や音楽家だけでなく、
新しいものを創造することが仕事の人は
このことをよく分かっています。



人々を本当に楽しませるものは限られるし、
長く楽しみが続くものなんて、さらに限られるわけです。




ん、長くなりましたな。
次回に続きます。



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