2018/03/29

自由になるための教育②




一見マニュアルというものはサービスを均質化させ、効率を上げる便利なツールのように見えますがそれ以外のことをするのは余計だと「例外を認めない」強制力も持ってますね。



最近は自分で考えることができる主体性ある人材を求めているようですがよく見れば相手が強制した部分だけの主体であってそれ以外は従属を求めているんじゃないかしらん。もちろんそんな都合の良い主体性など育つわけありません。




全員が好き勝手にあれこれ考えたり行動してしまえば統制は失われ想定外のリスクが高まることが最大の理由でしょうが、自分で考えることを放棄し命令や教義的なものに従い、指示されたことをこなす機械的な行為もまた、リスクではないかしらん。




だから段階的に離れる、と。
芸の世界では守破離ですね。




***




我々は小さい頃から正解を求めることだけを教えられて育ってきたけれど、vucaのようなゼロから道をきり開く知的生産の時代では問う技術や疑う視点が必要となってくるでしょう。




質の高い問いが生まれなければ
質の高い情報が何かがわからないですからね。
上手な問いはすなわち、それが答えだ。





「追記」


古来ギリシャ・ローマ時代では
リベラルアーツがその教育を担ってました。
自由7科(文法、修辞、弁証、算術、
幾何、天文、音楽)に加え哲学や神学を学ぶことで
生きるための力を身に付けていたようです。


リベラルアーツは教養学ではなく
語源の通り自由になるための学問だったんでしょう。



0 件のコメント:

コメントを投稿