2016/03/12

なじみの仕組み





広告宣伝をしてもまったく反応がない
これはどの業界でも起こっている現象ですね。



いくら素晴らしいキャッチコピーで書いたとしても、
素晴らしい商品を取り扱ってたとしても、
発見(認知)されなくては伝えることは出来ない、と。




そして、その認知活動である広告宣伝は
手応えも実感もない。端的に現状把握すれば
こういった感じでしょう。




そんなところから今回のテーマ。




僕の提供しているサービスは
不特定多数の方へ提案するものではないので、
マーケッター的には参考にならないでしょうが、




いつものように、思うように書いてみます(゜゜)









さて、ネットの広告宣伝費がどんどん増え、
他の媒体が年々減っているというデータも手伝ってか、



よしっ、これからはネット広告だ」となるのですが、
そうなると結局、テレビのCMと変わりません。



CMをザッピングする人が多いということは、
企業側からの「提案」を拒否しているってことに他ならない。




昔は認知の度合いと売り上げは比例したでしょうが、
今は知ってても買わない人が大半ですよね。



その結果、現在はアメリカから輸入された
コミュニケーションプランニングが主流となっているようです。




なるほど、「ファンベース」で考えろ、と。



もちろん僕もそういった知人による信頼性からの
集客は非常に納得しているのですが、
この「ファン」の定義が引っかかります。



そもそもこういった紹介的な手法は以前からあって、
行き過ぎた保険業界などはGNP(義理・人情・プレゼント)と
揶揄されたもんです。



さらに言えば、複数の業種の人と
繋がった場合、結局選択肢が増えるだけじゃないかしらん。




美容室をやっている人10人、保険屋さん10人、
飲食店20人と繋がったとしても、体は一つ。




じゃあ、どこを使い「続けるの」か?




そう考えると多層的な要因が急に現れてくるんです。




☞☞☞



思うに、今はキュレーショニングされた
情報が入口なのは間違いないでしょう。



例えば飲食の場合、知人の紹介と
「食べログ」ではどうしても後者が強い。
(もしくは影響力のある人が利用しているとか)




飲食という「味の好み」というものは
数値化できないからこそ、口コミが成立するのであって、




多ければ美味い、少なければそうじゃないと
「思わなければ」、現在の来店動機は起こらないじゃないか、と。




つまり人気店に行ってきたという
経験(コト)が一番に欲しい。




それと同時に、無数にある同業種の中
「ハズレを引きたくない」というリスク回避もあるでしょう。



結果、現在の一見さん(消費者)は、
情報の真偽を確かめる評論家になっているけど、




僕が注目しているのは、その後にくるもの。
いわば「体験」の先にあるものです。







我々は消費だけでなく、何かを継続的に愛用してると
それを人に伝えたくなるものです。



また、それと同時にその話を聞きたいの。
口コミの習性とは、まさにそのようなものでしょう。



その巧みさ、というか伝え方が上手ければ
当然人は集まってくるものですが、
売る側は伝え手を選ぶことはできません。



だったら我々は「その商品を信じる」という
原点に回帰するしかないんじゃないでしょうか。



だから空想を盲信しないよう、
信じる為に疑うんです。


☞☞



これが競争原理得が通用する分野であれば
ライバルと喧嘩して勝ったら選ばれる、それだけです。



しかし商売に関してはそうじゃない。
否、あらゆる価値判断基準なんて
そもそも明確なものなんてない。



画家はどうやって喧嘩してきたのか。
ミュージシャンはどうやって選ばれたのか。



分かりませんよね、そんなもんなんです。
才能があっても、選ばれるとは限らない。



そんな不可思議なものをあえて定義するれば沢山の仮説が出てきますが、



やっぱり、僕は正解が分からないな。
問うことしかできません。



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