2016/03/12

経験のない言葉は軽い





自分の人生は世間一般の人とは違うけれど、
これくらい豊かなんだよと言葉にする人が増えた。



僕はどうしても社会に適合できないんだ。
でも会社に飼い殺しされている君たちよりも
ずいぶんマシなんだぜ、と。



そう思うのは別に悪い事じゃない。
自分の人生だ、好きなようにやればいい。



ただ、もしそこに「観客の同意」が必要であるならば、
そりゃ自分に嘘をついている証拠だろう。



人に共感されなくては継続できない生き方なんて、
綺麗に仕立て上げたフェイクじゃないのか。






僕はそんな生活が豊かだとも思わないし、
憧れたこともない。



「社会の枠から抜け出す=ひとりで生きていける」
という図式にはならないと思っているからだ。



洋服一枚だって作れやしないし、
食べ物一つだって、育てられやしない。



完全な自給自足など、ありえないわけで、
それらは全て、彼らが批判している社会に
適合している人たちが作っているのだ。



それを好きなだけ使っておいて
「都会は人間の住む場所じゃない」とか
「今の社会は豊かだけど貧しい」だの言ってる
人達を見ると、「良いとこどり」にしか映らない。



ちょっとでも想像力を働かせれば、
そう簡単に現実は批判できないんじゃないのか。



☞☞



この国は年間3万人の自殺者がいる。
約100万人のうつ病患者がいる。




僕の友人は、そんな社会で働いている。
彼らは息子や、娘や、奥さんがいる。
自分以外に守るものがいるのだ。



無論、考え出せば不安にならないわけがない。
ストレスがないわけがない。



時には歯を食いしばらないといけない。
理不尽であっても自分を殺し、頭を下げなくてはいけない。



しかし、だからこそ得るものがあるのだ。



そんな生き方をとやかく言う資格なんて、
誰にもないんじゃないのか。



☞☞



守るものがない人は自由だが弱く、脆い。
だから必ず、たくさんの条件が必要になってくる。



そんな条件付きの精神で人生の何たるかを語っても
現実を乗り越える力などない。共感など一切起きない。



それよりも、我が子を一人前に育て上げた
親の言葉の方がよほど重みがあると、僕は思う。




「後記」


とは言え、極端に頑張り過ぎても良い事はありませんね。
ここらへんのさじ加減は難しいな、やっぱり。




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