2015/10/28

戦前のスピリチュアル





西田幾多郎が追及していた概念は
ブログでもよく出る絶対矛盾のほかに
「善の研究」が有名ですが、



それと並ぶ概念に「霊性」があります。
今でいうとこの「スピリチュアル」ですな(゜゜)



ちなみに戦前、こういった「霊性」は
哲学者にとって全存在、全知を賭けて挑む
命題だったんですね。



西田しかり、鈴木(大拙)しかり。
内村鑑三や岡潔、池田晶子もまた、そうでしょう。
(今なら若松氏か)




今日はそんな、昔のスピリチュアルの小噺でも。





「宗教は心霊上の事実である。哲学者は
自己の体系の上から捏造すべきではない。
心霊上の事実を説明しなくてはいけない」



これは晩年、西田が出した
「場所的論理と宗教的世界観」の一説ですが、



内在的理論ではなく、事実として立ち返れ、と
氏は言っているんですね。



鈴木大拙もまた、「日本的霊性」において
無分別知(二元論の超克)、即非であると語ってます。



「対称AはAではない、 故にAはAである」



これが即非。
肯定は否定であり、その否定が肯定となる。




これ、普通に考えても理解できませんよね。
故に、だからこそ「超越」なんです。




以前書いた神のパラドクスよろしく、
我々は超越しているものを頭で理解することができない。




そもそも、我々が理解できた時点で
超越してない証拠です。



説明できる神なんて、全部ウソですよ。
人智を超えてる以上、(西田よろしく)
絶対矛盾が同一していると言うしか方法はない。




釈迦だって、梵天勧誘されるまで
「他人には説明できない」と思ってて、



それを説明しようと言葉にしたら
7千冊の本(一切経)になっちゃった。
つまり、そういうことでしょう。




しかも、それを見ても捉え方はバラバラ。
本質を掴んだのはごく一部だったんですね。
(だから仏教はこれだけ宗派が分かれた)




現在「この世界の真理はこれだ~」と
鼻たれ小僧が金取って人に語ってるようですが、



実に無責任ですわ。
その思想、どこで借りてきたのかしらんけど。




そんな輩は昔から多かった。
だからこそ、自己の体系から捏造するな、
心霊上の事実を説明しろ、と西田は言っているんでしょう。



☞☞



霊性は精神ではないく、
精神を超えたものだと思ってます。



じゃあ、それは何か。
僕はこれこそ、真の他力と見る。



例えば、この体を見れば、
約60兆個という細胞から成っていますが、



そんな途方もない数の細胞は
精巧な機械のように、秩序的に配列されています。



これがまず不思議ですね。
自分の精神(意思)とは全く無関係です。



そもそも、最初は単細胞だったものが「なぜ」
ここまで増え、さらに配列的秩序を持っているのか?




これを自力だと思う人なんていない、
個人の強さ、能力、精神など、別次元の話でしょう。



子供が生まれる過程だってそうですわ。
胎内で単細胞が分裂を起こしていくけれど、赤ちゃんが自分でやってるわけがない(笑)



逆に、母親がやっているわけでもなく
「勝手にそうなっている」と。





つまり我々は「造化」されられてるわけでしょう。





それは何によって?




解けませんよね、
身近なものだけど、解けない。




だからこそ、生命は誕生から死ぬまで
「神秘性」を失わないのでしょう。





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