2013/03/19

行動と行為の違い

こんばんわ、unreveの坂口です^^


今日は何もせずにぼー・・・・・っとしてました。
僕の「ぼー・・・っと」は、そりゃあもう達人のレベルです、
ええ、完全なる空気の一部です。



下手すると鼻に綿詰められるレベルです。
って、死んでないっちゅーねんヾ(・ω・;)オイオイ



そう言えば、何も行動しない人を見て、
「まず動け、行動しろ!」というコーチやコンサルがいるのですが、



人間が動く原理には、2つあります。
一つは「行動」、もうひとつは「行為」です。


「ん?一緒じゃん」と思うでしょうが、
全然意味が違います、行動原理と行為の原理は全く正反対の性質です。



なぜなら、行動は思考からくる破壊(自我)原理であって、
行為とは「感応」からくる創造(自己)原理なんですね。



行動すればするほど、逆に苦しくなる場合がありませんか。
あれは外部強制からくる一種の自己破壊なんです。




今日はそんな小話でも。



☞ ☞ ☞




みなさん、例えば全然お腹が空いていないのに
何かを食べ続けてる人を見た際、ちょっと暴力的に映りませんか?




僕は「食べ物を破壊している」ように見えます。
事実、いらないものを消費しているんですからね。



しかし、こういった人は結構いるものです。



欲しいものが無いのにもかかわらず、
街へ出て、買い物を続ける人、



これといった用途もなく、情報を詰め込んでいる人、
不要な物で囲まれたごみ屋敷、



愛のないたくさんの愛人、死ぬ間際に達成した一億の預金、
親しくないけどSNSで繋がっている数百人の友達・・・・




落ち着きのない心、欠けたものを埋めようとする心、
それは過去から運んで来た落ち着きのなさを、現在へ注ぎ込んでいるのです。







行動とは、場合によっては自己の「悪習慣」を止めれますが、
これが常態化すると暴走してしまいます。




しかも、壊しっぱなしで創造しないのですから、
当事者意識も生まれませんよね。



内面的に落ち着かない為に起きる反応というのは、
状況否定から来る一種の強迫観念です。



よって、行動したあらゆる意味の背景には、
欠如感を埋める為の口実が必ずセットになっています。



繰り返しますが、これによって惰性を無くし(破壊)、
その後、感応行為を取るのであれば、問題ないのですが、




惰性ではなく「本来の自分」も誤って破壊してしまうと、
その後はずっと、自己破壊のままです。



僕は腰が重いクライアントさんを見て、それが
「本来望まない事」なのか、「惰性からくる否定」なのかを判断しています。




ん、長くなりましたな。
眠たくなったので、次回に続きます笑


2 件のコメント:

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    ちょっと自分の中で心当たりが・・・^^;
    続きを楽しみにしています♪

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  2. SECRET: 0
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    ��Ruby♭さん
    あら、Ruby♭さん、
    お久しぶりですね、元気してましたか^^?
    ただ、こう書いているんですが、
    行動って言葉、僕もよく使うんですよね(笑)
    違いの区別していると思って頂ければ(。・ω・)ノ

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