2015/08/09

如己愛人※2013年記事再アップ

今週は公私共々、色々あったが、
思えば、国レベルでもそうだった。



慌ただしい年末に、忙しく行われた
総選挙では予想通りの結果、



集団的自衛、特定秘密、
そして、原発を推進する自民の圧勝である。


僕はいち告白者であって、
説教者ではないのだけれど、


愛情のない人ほど、間違うものはない。
結局、それにつきるのかもしれない。



そんな事を思いつつ、
今日は僕の好きな日本人の一人、
永井隆について。

















島根の松江で生まれた永井は
父と同様医者を目指し、卒業後は
放射線医学の研究していた。



大学を出て3年後、緑という女性と結婚。
彼女も永井同様、心の美しい人だった。



かけだしの研究者である永井の家計は
とても裕福と言えるものではなかったが、
緑はどうにか、やりくりをしていた。


畑仕事をして、婦人会の班長を務めた。
今のように、市販品が安くはなかったので、
永井のシャツ、靴下、さらにはオーバーまで、
すべて自分で縫い繕っていたという。



そんなある日、研究室にいる女性から、
永井はこう言われた。



「先生は昼間も奥さまから抱かれているのね」。



当時の情景が浮かび上がり
じんわりと、暖かな気持ちになってくる。




☞☞☞




遊ぶ暇のない緑の唯一の楽しみは、
永井の論文が雑誌に掲載されたとき、
それを見る事だった。



読み始める時は、きちんと座り直した。
それはまるで、おしいただくようなものだった。



永井の論文は、専門用語ばかり並ぶ
難解な文章ではあったのだが、



その文中には永井の生命が刻まれている。
緑は涙を浮かべながら、それを読んでいた。



妻が読んでいる最中、代わりに
赤子をあやしていた永井はそれを見て、



「胸の中に温泉が湧くような思いにひたっていた」と、



自叙伝「ロザリオの鎖」でそう述べている。



ロザリオの鎖/作者不明
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やがて永井は助教授になり、
家計もずいぶんと楽になってきた。



そんな矢先、悲劇は襲ってきた。
永井は白血病にかかってしまったのだ。




永井の研究対象は放射線医学。
原因は、レントゲンからくる膨大な
放射線を浴び続けたことによるものだった。



余命は約3年。



医者からそう言われたことを、
永井は、妻に全て打ち明けた。



それをぎくりともせず、毅然と聞いていた
妻を見て、永井は緑がその運命を
すでに覚悟していたのだ、と理解した。



「これで安心して研究を仕上げる事ができる」。



永井はそう思っていたのだが、
それは大きな、大きな間違いだった。



☞ ☞



ある朝、永井はいつものように、
にこにこと笑う緑から見送られ、出勤した。



少しほど歩いてから、弁当を忘れた事に
気がつき、家へと引き返した。



そこで永井が見たものは、
玄関で泣き崩れている、妻の姿だった。



緑は、受け止めきれない自分の姿を
永井に見せまいと、必死に耐えていたのだ。




そして、それがふたりの
最後の別れの日となる。



8月8日、永井は夜勤の為、研究所にいた。




☞ ☞




時代とは、時に(常に)残酷なものである。
8月9日、長崎に原子爆弾が落とされた。



勤め先は爆心地から僅か700m、
永井は頭部にひどい重傷を負った。



しかし、自分の手当は後回しにして、
布を頭に巻いただけの状態のまま、
失神して倒れるまで、救護活動にあたった。




突然崩壊した現実の中、
無我夢中だったのだろう。



永井が妻のいる自宅へと駆け付けたのは、
原爆落下から、実に数日が経っていた。



☞ ☞





焼け尽くし、焼け残った台所で見た
真っ黒になった妻の骨盤と腰椎、



そして十字架のついたロザリオの鎖。




その時、永井は激しい自責の念にかられた。



救急で息つく暇がなかったとはいえ、
どうして妻のことを忘れてしまったのか。

どうして直ぐに帰ってやらなかったのか、


どうして当日少しでも側で祈ってやれなかったのか。



何度も妻の名を呼び、
滂沱の涙が止め処なく流れた。


この時、永井は戦争によって無意味に、
そして無差別に生命が失われる悲惨さを、
書き残そうと決心したのだ。



☞ ☞



奇跡的に回復した永井は
原爆の被害報告書や研究を続けたが、
とうとう立つことさえできなくなった。




しかし、それでも永井は研究すること、
書く事を止めなかったという。



使う鉛筆はHBから2B、4Bと、
どんどん濃くなっていき、
最後はこするように書き続けた。



まるで、妻を失った責任を
自分が全て背負い込むかのように、
執筆不能になるまでやめなかった。




















大事なものは脆く、壊れやすい。
日々の生活の中では風化してしまいそうだ。



故に、だからこそ、努めて維持するものだと思う。






















永井が送った千本桜のある「永井坂」



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