2018/01/04

二〇一八



新年おめでとうございます。
気が付けばもう4日、早いはやい。
昨年を振り返れば今までにないくらい
バタバタな1年でしたがどうやら2018年も
忙しい1年になりそうな予感をヒシヒシと感じます(笑)


まあ土台作りのようなものですから
焦らず進んでいくしかないですね。
さて、ご挨拶はこれくらいにして
今年最初のブログでも書きますか(´-`).。oO





手段の完璧さと目的の混乱


アインシュタインはずいぶん前に
現代社会の病理をこう看破しました。 

なるほど、確かに昔と比べあらゆる
病気が治せるようになり、豊かな
社会が実現されたように見えますが
その一方で心が貧しくなり、病んでる
人が増えたように感じます。昔は心療内科なんて、知らなかったもの。


自分の利益や目先の利益だけを追い求める
「三だけ主義」もずいぶんと増えました。
刹那的、利己的に生きることが幸せだ、ってね。


まあこれも時代の流れである以上仕方ないなと
思いながら僕自身、俗に遊ぶ気にはなりません。
その活動は後押しされることはあっても
(自然派生的に)抑制されることはない。
逆に言えばそんな不自然な歪みだからこそ、
揺り戻しが来るだろうと思ってますから。


まあ、早けりゃ今年。
遅くとも来年には来るでしょう。







変わらないために変わり続ける


平穏無事な日常を持続させるための
方法を個人的に挙げるとするならば
「変えられるものを変えることと
変えられないものを受け入れる在り方」だと思ってます。


福岡氏の動的平衡よろしく我々は
変わり続けることで変わらないものを
掴んでいく、と。それは上記のような
三だけ主義とは真逆の概念であって
神道の言う「今を生きる(中今)」こと。


秩序を守られるためには絶え間なく
壊す必要(創造的破壊)がある以上、
大事なのはその見極めでしょう。
今のように多様と自由が大手を振っていると
自分の好きなように壊し創れば良いと
勘違いしてしまいがちですが、それと
同じことを今の政治はやっているじゃないですか。


現代、人間を大きく分類すれば
二つに分かれます。 ひとつは自分の
利益を優先する人たち、もうひとつは
自分の利益よりものごとの筋道を優先する人たちです。


私は前者のような人から距離を置き、
必ず立ち帰るであろう原点を見据えたいと
思ってます。仏教の説く正道ではなく
筋を通したい。それができないと
冒頭のように「目的が混乱」してしまいますからね。



そんな生き方しかできない僕ですが、
今年もどうか、よしなに(笑)




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