300年前に出た思想本に「弁道」・「弁明」というものがある。
著者は荻生徂徠、伊藤仁斎と同じく古学派である。
荻生徂徠の思想のバックボーンは孔子、儒教であるが、儒教を体系化した朱子学は全く役に立たない空論であると喝破した。
それは伊藤仁斎も同じである。
それほどまでに批判された学問、それが朱子学である。
荻生徂徠の時代はその朱子学が公式学問である江戸時代。その思想は当然、正反対となった。
反進歩・反発展・反成長。
反都市化・反市場経済・反啓蒙・反自由・反民主主義。
政治、経済、世間と
見事なまでに対立した学問が荻生の古学思想といえる。
朱子学は馴染みのある言葉だが、あまり知られていない。朱子学が生まれた時代は中国が侵略された時代であり、その反発から生まれた学問でもある。その根底にはゆがんだ自国愛があるのだろう。
朱子学では、その気から欲望が生まれるとした。
我々人間は、気によって情念や欲望が起こり、
欲望によって本質的「理」が曇っている、としたのだ。
朱子学によれば、悪が発生する場所は「気」である。
長年の読者の方なら、この辺りの定義から
「漢意」になってきているのが分かるだろう。
そう。
予想通り、そこから先の答えは「悪い気の排除」である。
朱子学で言う聖人は、与えられた気が濁っていない。
よって「理」が分かるとし、善悪の定義を「気」の清濁の差であるとした。このように朱子学とは、一つの原理(理)によって、あらゆるものを理論体系化したものであり、極めて合理主義的な思想である。
そんな現実社会に全く役に立たない学問を
否定した伊東と荻生は、そこから独自の学問である古学を生みだしたのだ。
ちなみに朱子学は高い徳を持ち、品位ある生活こそが
人生最大の目的、という教義だ。
よって信仰者は、高い徳を持ち、
世界の為にお金を使うことを正当化する、
故に、その目的を果たすには
どんな汚い儲け方をしてもかまわない、と解釈されている。
汚く儲けてきれいに使う、
つまり現世主義では不正や汚職を
正当化させてしまう欠点がある。
最近、これに近いセリフを経営者からよく聞く。
多分、それが朱子学の影響とは本人は思っていないだろう。
今の経済競争を俯瞰すれば
個人派生の「宗教・思想の対立」なのである。
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