2013/10/14

神の天秤、人は限度を知らず



最近ようやく国家の品格を呼んだのですが
非常に極端な意見のように感じました。


確かに日本は情緒の国ではありますが
それだけと言う訳ではなく能の伝承(花伝書)など、
論理体系化されたものがたくさんあります。


例えば禅宗は不立文字、教義的ではありませんが、
禅問答は言語体系化されているように。



それと同様、近代は論理一辺倒で人間的な
感情を抑えるような理不尽な扱いをされていましたが、
偏ったバランスは「どちらにせよ」自然に、
中空均衡(ゆりもどし)の原理が働くのであって、


感情側が同じように理不尽な感情面を
正当化するのであれば同じ穴のなんとやら、でしょう。


つまり極へ向かえば毒となる、と。


坂口安吾はそれを見抜き、看破しました。
綺麗事を言い過ぎるお前らは結局のところ
美名・美徳に隠れ、特別な存在だと
思いたがってるだけじゃないか、と。


なるほど、言い得て妙です。
まあ氏の選んだ生き方は僕にはできませんがね。


☞ ☞


思考のない感情(直感)だけでは動物的衝動であって、
感情のない思考(論理)では機械と同じです。


それらは常に主導権を争っている。


故に、だからこそ、
我々人間は悩む事を永遠に止めないのですが、
本来の主導権は「時と場合」で変わるもの、


そんな移り行く「時と場合」を貫く学問が
平和な秩序で支えられることは間違いないでしょうね。



原子バクダンを発見するのは
学問じゃないのです。子供の遊びです。

これをコントロールし、適度に利用し、
戦争などせず、平和な秩序を考え、
そういう限度を発見するのが、学問なんです。  


自殺は、学問じゃないよ。子供の遊びです。
はじめからまず、限度を知っていることが必要なのだ。


1 件のコメント:

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    やはり人のブログを読むといろんな発見があります♪せっかくなので読者になりますね♪更新頑張ってくださいね!

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