2014/11/19

対話による場の形成理論

unreveは対話による「場の形成」を提唱してますが、
それは対話する「言葉の内容」が大事なのではありません。



大事なのはメールや伝達文書や電話ではなく
お互いがその場にいる事で発生する空気感。


こう書くとなんだか非現実的な感じですが
逆ではこれは生まれないのです。
(生まれない、というかネガティブ・フィードバックになる)


例えばネット、距離が離れた相手が
文字だけで空気感が生まれる事は、まずありません。


賛同者なら集まるでしょう、ただそれは各自が持つ
それぞれの価値観と一致しただけのこと。


例えば、この国でもFBによってデモが起きているけれど
それは個の集約ではなく、集団からの派生です。



今日はそんなリゾーム派生「場と対話」について。



ヤン・シュヴァンクマイエルの作品



さて、言語化とはその性質上、どうしても相対、二分されます。



例えばある対象「A」を言葉によって名づけた、とします。
対象は名詞(太郎)でも良いし、形容詞(楽しい)でも何でもいい。



それを名付けた(言語化した)時点で、世界には
必然的に「A」の他に、「NOT A」が生まれます。


「太郎」を名付ければ、それ以外は「太郎ではない」、
「楽しい」は「楽しくない」がセットです。

よって「正しい」を叫べば、必然的に「正しくない(間違ってる)」
が派生し、それが違いとしてではなく「悪」に転じます。



よって自己が正当化されると、その対極には
敵(NOT 自己)がいるのはこの言語世界の原理なのです。



そしてこれこそ、人が対立する根っこであり、核心。
我々は言語から支配されているのです。

☞ ☞

例えば、原理主義は「絶対」を生み出します。
しかし、歴史上それが万人に認められた試しはありません。
理由は上記を見れば明らかです。

この罠に陥らない為には、まず多元的・両義的にすることです。



ざっくりとした分け方では二項対立するだけ、
お金だって「必要」と「不要」に分けたら、おかしな対立となります。

必要だけど、それほど必要ではない。
そんな「最適」の状態は自分しか分かりません。

よってできるだけ多くの状況を想定し、
それら関係性が複雑に結びついている事を、まず知ることです。



そうすると、言葉(言語)というものが
ある種の「ネットワーク形態」を持ちだします。


この状態が、ご存じ「リゾーム派生」です。


その為に様々なニュアンスを用いる


そのネットワークの結節点や揺らぎの部分に、
自分にとって、最適な思考やあり方が見えてきます。



「私はこの部分は賛成だけど、ここは違うな」とか。



それを発見するプロセスが「会話」であって、
それを他者が理解することが「場」の役割なのです。



あるでもない、ないでもない。
白でもない、黒でもない。



当然、最初は朧であり、曖昧模糊としたものです。
ただ、それが圧縮していくと、自然に法則性が出てきます。



これが「大体の志向性」を持つことで
その場にいた全員が「最適な立ち位置」によって
抑圧なく、足並みがそろうこと。




これをunreveでは「自己組織化」と呼びます。


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