2016/02/21

結んで、ひらいて。






さて、ビジネスでもなんでもそうですが、
この国はある「状態」を自然にやっていて、



僕はそれがまるで「結んで、ひらいて」の
歌のようだな、と思っています。




例えば、この国は思想でも宗教でも商品でも
「まず受け入れる」ことからやってますよね。




しかし、ただ受け入れっぱなしに終わらず
様々なもの同士と繋ぎ合わせ、最適なものを
作り出しているんです。




それこそ、日本のブランドたる所以でしょう、
メイドインジャパンは「国内生産」という意味じゃないってこと。



伝統も結んだままじゃないですよ。
常に「結びと開き」の流れが繰り返されてるんです。









そんな長い年月によって蓄積された経験値は
技術と違って、簡単に真似できないもの。
長い年月と厳しい目がないといけません。



例えば以前、オーストラリアの人が「この国は500円の
ランチでも味に評価をつけるなんて信じられない」と言ってました。




海外からすると価格と質は比例するんでしょうが、
この国では「安かろう。悪かろう」を良しとしませんよね。



鉛筆一本にしても、細部にこだわりを持つ。
改善を繰り返し、日本刀のように研ぎ澄まそうとする。



その結果、オタクの様にとことん追及されていく(笑)



これがまず最初の「結び」でしょう。



☞☞




そしてそこからの「開き」によって
多様なものがさらに多様に編集されていきます。



最近のハロウィンなんてそうでしょうね。
あれは端的にこの国の精神を現してるんじゃないでしょうか。



誰だって参加できるような場に仕上げている、
これが結んだままだったら、怪しげな集会ですからね(笑)



つまり自分の周囲だけという閉じられた
楽しさを追及すると同時に、誰だって参加できるという
二重の精神がある。



そこには押し付けもなく、
排除することもありません。



これは古事記の世界からそうなんです。






天照大神が岩戸隠れをした際、
他の神々たちは強引な真似はしませんでした。



天鈿女命(アメノウズメ)が岩戸の前で半裸で踊り、
他の神様たちはそれを見て笑い、騒いでただけ。
それを見て、天照は「自分から」岩戸を開けたんです。



イザナミとイザナギが別れたときもそう。
「お前の国の人間を一日1000人殺してやる」と
言うイザナミに対し、




イザナギは説得しようとせず
「だったら私は一日1500の産屋を作ろう」と言っています。



ここに、多様を認める
この国のルーツ(根)があるんじゃないですかね。




三方良しの精神もそう、
それを継承するのが日本流です。








見れば、もうひとつの精神性である
「持続可能性」が今の企業から失われ、
海外からのシステムや制度を導入してますが、



我々は本来、組織だって長年続くものを作れるんです。
これだって企業寿命が短い海外には真似できません。




だったら後はそこでしょう、
ということで、unreveでは日本流の組織を提唱しています。







「後記」


多分に、みんなで何かをやるときは
遠足みたいな感じ良いんじゃないかな。




営利が伴うと、どうしてもそれを
「登山」にしてしまうんですが、




子供たちの目的は山に登ることじゃなくて
「お菓子」とか「お弁当」ですよ。




だったら「結果、やまのぼり」くらいで丁度よくないですか(笑)
やることは一緒です。

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