こんにちわ、坂口です(゜゜)
寒いのも、もうちょっとの辛抱ですね。
さてさて、今日は仕事について。
ホームページでもお伝えしているように、
当事務所ではまずはβ版から入ることで、
自由度の高い本部を構築しています。
クライアントさんとの対話によって
一番しっくりくる「落としどころ」を探りながら、
オーダーメイドで作り上げていくんですね。
漫画のネーム(下書き)だってそう、
まず全体のデザインを決定してから
細かいディテールを書き始めていくわけです。
宝塚市立手塚治虫記念館にある制作途中の原稿のコピー
こういった方法は「正しいデザイン」の中で起こる
「揺らぎ」である以上、「どこに転んでも正解」になります。
宝塚市立手塚治虫記念館にある制作途中の原稿のコピー
こういった方法は「正しいデザイン」の中で起こる
「揺らぎ」である以上、「どこに転んでも正解」になります。
これを「不決断」だと感じ、その曖昧さに
モヤモヤしてしまう人もいるでしょうが、
これは「最適化」へのプロセスなんです。
モヤモヤしてしまう人もいるでしょうが、
これは「最適化」へのプロセスなんです。
ぶっつけ本番でいきなり最適化は不可能。
プロの漫画家さんだっていきなり原稿に
ペン入れなんてしませんよね。
逆を言えば、それまでは
いくらでも修正ができるってこと。
反面、これがすでにあるロールモデルから
入った場合はそう簡単に変更はききません。
入った場合はそう簡単に変更はききません。
例えるなら、すでにデザインが完成されている
ぬり絵に色を付けるようなものですから、
枠から外れたら全部台無しになるんです。
ぬり絵に色を付けるようなものですから、
枠から外れたら全部台無しになるんです。
当然、その修正コストは比較するまでもない。
多くが形から入るのとお金をかけるのを
同一線上に捉えているのですが、それ嘘ですからね。
厳しい言い方ですが、コストを度外視するなら
誰だってできます。
けど、そんな専門家は二流ですよ。
☞☞☞
そもそも論を言えば、組織に関わらず単一の
ロールモデルや完成されたプログラムに
従っていれば、必ず限界があるんです。
その限界とは、
ぬり絵を全て塗り尽くした状態と言うこと。
ぬり絵を全て塗り尽くした状態と言うこと。
「この制度やこの教育で、こういった効果があり、
こういったことが開発され、こういったものが強化される」と、
完全にその意味を「理解(取得)した時」、
今まで効果があった(と思われる)ものは消え、
後はそれ自体が「檻」になってしまう。
まさにマニュアルなんてそうでしょう、
覚えてしまったあとはかえって邪魔になるもんです。
そんな膨満感が組織の開放感を停滞させ、
硬直していく原因だと言うのは、一度でも
チェーンシステムの中で働いたことがある人は分かりますよね。
そこには肝心の余白がない、
unreve的に言えば「あそび」や
「暗黙知」がないんです。
☞☞
本来の仕事はのびやかな開放感があるもの、
一つの形式をこなすだけの作業が終わりじゃありません。
だから理念は「永遠の問いだ」と。
完成を求める未熟さこそ、実は完成なんです。
そういった理念が浸透すればするほど、
多面的に・多層的に・多声的な組織になる。
これが日本流です。
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