2018/03/31
クラウンカフェ
博多のANAクラウンホテルにある
クラウンカフェでビュッフェ。
福岡のTV番組(めんたいワイド)で
絶対はずさないビュッフェ・トップ10の
第一位になったレストランです。
ホテルのビュッフェで
3番目に好きになりました(´-`).。oO
2018/03/30
2018/03/29
自由になるための教育②
随筆、続き。
(前回はこちら)
一見マニュアルというものはサービスを
均質化させ、効率を上げる便利な
ツールのように見えますが実は人間を
考えさせないために作られたもの、
それ以外のことをするのは余計だと
「例外を認めない」強制力を持ちます。
最近の企業は自分で考えることができる
主体性ある人材を求めているようですが
よく見れば会社が強制した部分だけの
主体であってそれ以外は従属を求めていますね。
そんな都合の良い主体性など育つわけがない。
確かに集団行動において全員が好き勝手に
あれこれ考えたり行動してしまえば統制は失われ
想定外のリスクが高まるかもしれません。
しかし、自分で考えることを放棄し
他人(上司)の命令や教義的なものに従い、
指示されたことをただ正確にこなす人が優秀なわけないでしょう。
我々は小さい頃から正解を求めることだけを
教えられて育ってきたけれど、ゼロから道を
きり開く知的生産の時代では問う技術や疑う視点が必要となってきます。
「教える、学ぶ」のはあくまでも基礎、
答えのない問題に対処する力は自らで考えないと
身に付くことはありません。
質の高い問いが生まれなければ
質の高い情報が何かがわからないですからね。
個人的にこういった教育は私塾のような
民間派生でないとできない気がします。「追記」
古来ギリシャ・ローマ時代では
リベラルアーツがその教育を担ってました。
自由7科(文法、修辞、弁証、算術、
幾何、天文、音楽)に加え哲学や神学を学ぶことで
生きるための力を身に付けていたのです。
リベラルアーツは教養学ではなく
語源の通り自由になるための学問だったんですね。
2018/03/28
今日の晩飯
福岡で打ち合わせの後、
お腹が空いたので「田なか屋」さんへ。
かれこれ10年以上ぶりの再来です。
カニ料理を始め、フグやらカキやら
アワビやらが頂けます。
閉店ギリギリに来たので
サッと食べてスッと会計。
江戸っ子かよと、ひとり突っ込みを
入れましたとさ。
自由になるための教育①
自らの足でしっかりと立ち、自らの頭で
是非・善悪を考えることができる人を
私は真の自由人だと思ってますが
今の教育機関である学校は覚えさせること
ばかり重視し「考えること」を排除しようとしていますね。
言い方を変えれば「考えさせない」ようにしている、と。
なぜか。理由は簡単です。
この国で言う社会通用(適応)とは
上司の言うことに対し口答えせず忠実に従うこと。
だから社会に出る前(大人になる前)に
学校で「そうなるように」修正しないといけないのです。
つまり社会に出すための教育とは子供たちを
規格化、矯正させることなんですね。
学校はそのボルト、ナットを作る大きな工場。
先生たちが悪いんじゃない、構造(というか資質)が問題なのです。
上司の言うことを忠実に守るためには
自分の意見を持ってはいけない。与えられる
指示をひたすら待たなくてはいけない。
不満があっても反論自体を「殺さないと」いけない。
そのために自分で考えてはいけない、と。
だから企業は「これを覚えて忠実に従いなさい」と
マニュアルを用意するのです。
ちと長くなりましたので次回に続きます(゜゜)
2018/03/27
花見日和
近所の公園でお花見。
わーってなってるね、わーって。
子供たちが楽しそうに走り回ってて
それをおじいちゃん夫婦が笑って眺めてる。
平和そのものですな。
ええ写真撮れたんでお弁当タイム🍙
つか外で食べるおにぎりって、何でこうも美味いのかね。
タコさんウインナーに卵焼き。
ササミの梅肉包みにエビフライ・・・
そりゃあビールもすすみますわな🍺
あー、楽しかった。
一心行は再来週くらいかな(´-`).。oO
2018/03/25
今日のランチ
久しぶりに大昌園でランチ。
平日でも待たないと入れない人気の焼肉屋さんです。
従業員の接客サービスの質の高さに
定評があるこちら、今回も細やかな対応に感心しました。
三條をはじめ、久留米で美味しい肉を
出すところはいくつかあるけれど
コスパから考えるとここはとっても紹介しやすいお店ですね。
2018/03/24
2018/03/23
幸せの道
今日のお昼は近所にある
佐世保バーガー。おばちゃん二人で
やってる小さなお店です。
丁寧に作ってるから時間がかかるけど
本場と変わらないくらい美味しくて、安い。
天気が良いから外で頂きました(´-`).。oO
写真じゃ分かりにくいけど、一個でお腹いっぱいになるくらい大きいデス。
「今日は忙しそうだねぇ」と言うと、
「久しぶりに天気が良いからかねぇ」と笑顔で答える。
確かに今日の天気は良きよき。
桜を見ると6分咲き、染井吉野は週末が見頃でしょうね。
天気のいい日に美味しいご飯を食べる。
これくらいのことで幸せを感じれる僕は
きっと幸せ者なんだろうなと、妙に納得してしまいました笑
なるほど。幸福を追えば不幸になると
言うように、多分に幸せになる道なんてないのでしょう。
なぜなら幸せこそ、道なのだから。
定義できない数少ないものの一つです。
敷延
思えば今の政権(首相)は実に様々な
ものをあぶり出してくれたもんですね。
僅か数年ですが潜在しているものの
醜悪さをこれほど見せてくれた人は初めてかもしれません。
排他的なレイシスト(差別主義者)にナチズム、
彼らは自分の心に素直に従ってます。
つまり「自分に正直な人」が権力を持った結果が今でしょう。
巷ではやれ自己肯定だ、ご自愛だと
吠えてますがその自信ってどこから来てるのかしらん。
***
国家にせよ社会にせよ企業にせよ
品位や安定は精神の在り方から派生するもの、
その根幹に無関心なままであればどれだけ
制度や人を変えたとしても意味がない。
今の首相が変わっても顔の違う「同類」が
交代すれば結果は同じでしょう。
抑々、古今東西あらゆる政治は何らかの
思想を持ってます。その思想背景、
イデオロギーが彼らの根幹なのです。
故にそれを実現するプロパガンダや
手段が生まれる、と。明治維新よろしく
理想社会を築くために戦う集団は華々しく
美化されがちですがそれはあくまでも
特定の指導者にとっての理想像にすぎません。
それをまず知り、疑う力が必要です。
なぜなら彼らは手にしている理想(正義)が
鋭利な凶器にもなることに気が付かないのだから。
彼らは敷延して考えず定型された
ひとつの観念にただ従っているに過ぎない、
そんな模型化された思考(精神)を変えるには
自己を否定する力が必要です。
**
自説を疑えば、時にはその持論を
手放し撤回することもあるでしょう。
しかしそれが敷延の本質、
個人的にそう思ってます。
2018/03/18
自炊のすゝめ⑯
この日は肉じゃがと相方が
北海道物産で買ってきたコロッケで一盃。
ざ・ジャガイモ尽くし(笑)
そういや最近ジャンクフードを食べてない。
食べようとも思わない。
あれだけ好きだったのに・・・なんでだろ?
2018/03/17
2018/03/16
随筆
「思い出の味は何ですか?」、と
聞かれたらいくつか浮かびますが
島根で食べた魚の味は今でも記憶に残ってます。
あれはとにかく美味かった。
「これを食べたら他の魚は食べれない!」
・・・なんて言うほど上品で容量の狭い
胃袋じゃありませんが、まあ美味かった。
この何かを食べて「うまい」と感じたときの
喜びってやつ直接的なものですね。そして、
それは何かを達成したり理解できたときに
感じたものと全く違うことはありませんでした。
知ること、考える事、遊ぶこと、食べること。
つまりこれらに区別なんてなく、
ただそのプロセスが違うだけということでしょう。
例えば困難なことにチャレンジすれば
最初は苦痛しかありません。美味いものを
食べたときのようにいきなり幸せが
飛び込んでくるわけじゃない、
しかしそれを乗り越えた時に感じる
喜びってやつはその苦しさを帳消しに
するどころか包括されてしまいますね。
あの苦しさがあったから今の歓びがある、と。
なるほど。進化の理屈から言えば
否定的なものを排し楽なものを
選んだ方が繁栄に繋がるはずなんだけど、
今でも四苦八苦が残っているということは
淘汰されない理由があるんじゃないかしらん。
だから我々の先輩方は
疲れや苦労に「様」をつけたんじゃないですかね。
労働は最高の酒の友
あたりまえといえば当たり前だけれど
生きてて一番肝心なのは僕ら自身の幸不幸、
何千年前もそうだし何千年後も変わりゃしません。
しかしこの当たり前のことを
教えてくれる人が殆どいません。
いわゆる幸福の思想ってやつです。
あるのはすでに舗装された社会通念の道か
宗教の道か獣道しかない。勘違いしてる人も
いるでしょうが常識から外れた生き方だって
綺麗に舗装されてますわ。ただ常識を否定し
そこから外れるだけで良いわけですから。
ではもしそれで幸福でなかったならどうするか。
たった何十年かの間だけしか生きれないのに
人生の一大事業である幸福の建設を忘れたまま
死期を迎えるなんて、つまらない。勿体ないじゃないか。
僕は人よりちと欲張りな性分ですから
そんなことを考えてしまいますな。
2018/03/15
2018/03/14
2018/03/13
かむかふ
さて今夜の夕飯は何を食べよう。
明日の朝食は何にしようか。
そういや今度は連休だ、どこへ行こう。
あそこの桜は咲いたかな、調べてみよう。
この問題はこの公式を使えば解けるな、
この経費はこれで計上すれば大丈夫だ。
エトセトラ、エトセトラ。
我々はこういった感じでメニューを考えたり
場所を探すことを「考える」だと思ってます。
つまりすでに答えが存在していてるデータを
「適切」に取得し、比較検討しながら結論を出すことです。
しかし古来はそんな頭の(情報の)
操作が考えることではありませんでした。
むしろ現代の考えるとは真逆、反対の志向性だったんですね。
考えるとは「かむかふ」、むかえるという意味。
外側から情報として知るのではなくそれ自体を
自分自身の内へ取り込み、感じる「経験」のこと。
知的(頭を使う)働きではなく親密に交わる行為です。
それによって今はまだ知りえないものを知り、
見えないものを見、感じられないものを感じる
ことができる、と。我々の親や熟練した
先生たちはもれなくこの「かんがえる」をやってます。
故に「我が子が(教え子が)信じられる」。
そこに学問的な行動心理学やら子供だましの
星座占いなど入る余地なんてありゃしません。
彼らは科学的な観点や心理学的観点といった
場所に立って、子供たちの心を理解してるわけじゃない。
チラッと見たただけで何を考えているか理屈抜きでわかるのです。
この直観は交わり(かむかふ)から来るものですね。
なるほど、これが人間の直観力を養う唯一の方法なのでしょう。
2018/03/07
天空のカフェへ。
篠栗の若杉山にある、
茶房わらび野さんでランチ。
道のりがちと難儀ですが
「天空のカフェ」と言われるくらい
景色が素晴らしいところです。
一階の店内はこんな感じで
ガラス張りになってます。
聞けば食事は一階で、カフェが二階とのこと。
ちなみにコース料理の最後も二階で頂くようですね。
てなわけで今回はコースを注文しました。
美味し(´-`).。oO
ペロッと平らげ、二階へ向かうと
良景色!
ちなみに夜はこんな感じで
夜景も見れるみたい。
オサレだな~|ω・)
飲みなれない和紅茶(桜)とやらを
かっこつけて注文。食後のデザートは
モナカを抹茶とアイスで包んだやつでした。
2018/03/06
光の道へ。
宮地嶽神社へ初参拝。
山の上から海へ一直線に続く参道、
「光の道」で有名な神社です。
下の写真のような光景が見れることから
そう呼ばれるようになったみたいですね。
日中はこんな感じ。
一本の長い道が海まで続いています。
ちなみにこの日は霧雨が。
まあ、たまには雨も良いもんです(笑)
本殿に向かうと大注連縄が見えてきました。
実物の存在感に圧倒。
出雲も大きいけど、こっちもスゴイですね~
本殿の隣には開運桜が咲いてました。
神様に一番近いところで咲いている
この桜、早いときは1月には咲き始めるとのこと。
種類は染井吉野ではなく寒緋桜。
沖縄の桜と同じですね。
次は菖蒲の季節に訪れたいと思います(´-`).。oO