随筆、続き。
(前回はこちら)
一見マニュアルというものはサービスを
均質化させ、効率を上げる便利な
ツールのように見えますが実は人間を
考えさせないために作られたもの、
それ以外のことをするのは余計だと
「例外を認めない」強制力を持ちます。
最近の企業は自分で考えることができる
主体性ある人材を求めているようですが
よく見れば会社が強制した部分だけの
主体であってそれ以外は従属を求めていますね。
そんな都合の良い主体性など育つわけがない。
確かに集団行動において全員が好き勝手に
あれこれ考えたり行動してしまえば統制は失われ
想定外のリスクが高まるかもしれません。
しかし、自分で考えることを放棄し
他人(上司)の命令や教義的なものに従い、
指示されたことをただ正確にこなす人が優秀なわけないでしょう。
我々は小さい頃から正解を求めることだけを
教えられて育ってきたけれど、ゼロから道を
きり開く知的生産の時代では問う技術や疑う視点が必要となってきます。
「教える、学ぶ」のはあくまでも基礎、
答えのない問題に対処する力は自らで考えないと
身に付くことはありません。
質の高い問いが生まれなければ
質の高い情報が何かがわからないですからね。
個人的にこういった教育は私塾のような
民間派生でないとできない気がします。「追記」
古来ギリシャ・ローマ時代では
リベラルアーツがその教育を担ってました。
自由7科(文法、修辞、弁証、算術、
幾何、天文、音楽)に加え哲学や神学を学ぶことで
生きるための力を身に付けていたのです。
リベラルアーツは教養学ではなく
語源の通り自由になるための学問だったんですね。
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