さて今夜の夕飯は何を食べよう。
明日の朝食は何にしようか。
そういや今度は連休だ、どこへ行こう。
あそこの桜は咲いたかな、調べてみよう。
この問題はこの公式を使えば解けるな、
この経費はこれで計上すれば大丈夫だ。
エトセトラ、エトセトラ。
我々はこういった感じでメニューを考えたり
場所を探すことを「考える」だと思ってます。
つまりすでに答えが存在していてるデータを
「適切」に取得し、比較検討しながら結論を出すことです。
しかし古来はそんな頭の(情報の)
操作が考えることではありませんでした。
むしろ現代の考えるとは真逆、反対の志向性だったんですね。
考えるとは「かむかふ」、むかえるという意味。
外側から情報として知るのではなくそれ自体を
自分自身の内へ取り込み、感じる「経験」のこと。
知的(頭を使う)働きではなく親密に交わる行為です。
それによって今はまだ知りえないものを知り、
見えないものを見、感じられないものを感じる
ことができる、と。我々の親や熟練した
先生たちはもれなくこの「かんがえる」をやってます。
故に「我が子が(教え子が)信じられる」。
そこに学問的な行動心理学やら子供だましの
星座占いなど入る余地なんてありゃしません。
彼らは科学的な観点や心理学的観点といった
場所に立って、子供たちの心を理解してるわけじゃない。
チラッと見たただけで何を考えているか理屈抜きでわかるのです。
この直観は交わり(かむかふ)から来るものですね。
なるほど、これが人間の直観力を養う唯一の方法なのでしょう。
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