2018/03/13

かむかふ


さて今夜の夕飯は何を食べよう。
明日の朝食は何にしようか。

そういや今度は連休だ、どこへ行こう。
あそこの桜は咲いたかな、調べてみよう。

この問題はこの公式を使えば解けるな、
この経費はこれで計上すれば大丈夫だ。


エトセトラ、エトセトラ。
我々はこういった感じでメニューを考えたり
場所を探すことを「考える」だと思ってます。
つまりすでに答えが存在していてるデータを
「適切」に取得し、比較検討しながら結論を出すことです。


しかし古来はそんな頭の(情報の)
操作が考えることではありませんでした。
むしろ現代の考えるとは真逆、反対の志向性だったんですね。







考えるとは「かむかふ」、むかえるという意味。
外側から情報として知るのではなくそれ自体を
自分自身の内へ取り込み、感じる「経験」のこと。
知的(頭を使う)働きではなく親密に交わる行為です。


それによって今はまだ知りえないものを知り、
見えないものを見、感じられないものを感じる
ことができる、と。我々の親や熟練した
先生たちはもれなくこの「かんがえる」をやってます。



故に「我が子が(教え子が)信じられる」。



そこに学問的な行動心理学やら子供だましの
星座占いなど入る余地なんてありゃしません。
彼らは科学的な観点や心理学的観点といった
場所に立って、子供たちの心を理解してるわけじゃない。
チラッと見たただけで何を考えているか理屈抜きでわかるのです。


この直観は交わり(かむかふ)から来るものですね。
なるほど、これが人間の直観力を養う唯一の方法なのでしょう。



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