2017/06/30
日本(人)論考
つい数年前は「日本の常識は世界の非常識」
みたいな番組がテレビを賑わせていた。
あれを見て「この国は世界の常識を知らない
後進国なんだな」と、自虐的な感情を
植え付けられてしまった人もいるだろう。
しかし今はどこもかしこも日本賛美、
正しかったのは日本人だった、ってね。
そんなメディアの変わり身の早さには
唖然としてしまうな。
こう言った極端な思考回路は
世界共通の「バカの条件」である。
無私と自分を見失った人は全く違うように
素直と無思考は違うのだ。
上から目線で偉そうだという意見は
今回は聞かないよ。極端な意見に共感し、
疑うことなく信じ、集まるのはやっぱり、どう考えてもバカだ。
静思し、真剣に疑問符に向き合えばその
複雑でどうしようもない矛盾を感じずには
いられない。逆を言えば全く矛盾を感じない
知識人の発言は誰かの思想を借りてるか、
もしくは自分に嘘をついているに違いない。
冒頭のテーマ然り。日本を端的に
語るような人を僕は信用しないね。
なぜならそれは一枚岩ではなく
幾重にも折り重なっているのだから。
例えば僕は自分の父親が全く理解できない。
最近では理解しようとも思わなくなった。
血の繋がった親子ですらそんな感じなのに
「日本人」を丸ごと理解できるわけないわな。
🗾🗾🗾
閑話休題。
僕が好きな日本は多層的な価値に
共鳴することができる文化であって
「これが日本人だ!」とアイデンティティを
確保しようとする行為じゃない。
そんな重なり合うグラデーションを見ず
単色で物事を判断するような人は違う意見を
探してはモグラ叩きのように叩きだす。
いわゆる「排他的なムラ社会」というやつだ。
そんな場所よりも外国の方がよっぽど
親近感を持つという人も多いだろう。
こういった面もこの国は持っていると
いうことを含めて考えないと「日本」は分からない。
いわんや常識をや。
薄っぺらい日本を知りたきゃ、それでも良いけどね。
「後記」
古来より日本人は調和を大切に生きてきたという。
昔の国名が「大和」と呼ばれていたように
人々は大きな和を尊び、その中に自分が所属している、と。
礼儀礼節、約束を守るのは
人に迷惑をかけないため。
和の中の人を傷つけないため。
一見、素晴らしい精神性だと思うだろう。
しかしそれは集団性が混じった中途半端な
「個」でもある。柔軟な感受性ではあるけれど、
場合によっては「本当の個性」まで引きずり
落とそうとしてしまう気味の悪さも併せ持つのだ。
なるほど、己が中途半端な個性であると
自覚してるからそこから逸脱する人が
我慢できないのだろう。その前提には
大衆の特徴である盲目的な従属姿勢があるわけだ。
結果、まるで自分が世界のことを
知り尽くしたかのような態度で世間から
はみ出した人を嘲笑し、新しいチャレンジを
する人を諦めさせることに必死になる、と。
和合(調和)の精神は諸刃の剣。
使い道を間違えば迎合になってしまうね。
2017/06/28
夢、unreve
僕が私淑している渋沢栄一氏は
屋号の名づけ親。小林同様人生において
非常に影響を受けた方の一人です。
参考記事:道徳経済同一説
氏は坂本龍馬に(くっつき)三菱を創った
岩崎弥太郎のような勝者者側の人間ではありません。
最後の将軍である徳川慶喜を慕った敗者サイドの人間です。
ただ、そんな敗者サイドが最終的には日本の
財界を仕切った、と。実に痛快。
岩崎は「僕と手を組めば日本の実業界を
思う通りに動かすことができる」と、彼を
誘ったようですが、渋沢は怒りながらこう言ってます。
「冗談じゃない。君がやってるのは
ただの金儲けだ。そんなことはするつもりは毛頭ない」
さすが元武士、このぶれない男気が好きなんですよね(^^♪
そこから生涯で500以上の企業に関わり、
実績を残していったわけです。
彼はお金を儲けることを否定している
わけではありません。手段と目的を
取り違えるな、と言っているのです。
説明すると長くなるので割愛しますが、
そんな彼の考えに共感し、僕も彼の目指した
場所に向かいたいと強く思ったんですね。
✍✍
夢なき者は理想なし。
理想なき者は信念なし。
信念なき者は計画なし。
計画なき者は実行なし。
実行なき者は成果なし。
成果なき者は幸福なし。
ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。
うちの屋号はunreve、フランス語で
「夢」を意味しますがそれは渋沢氏が
根幹にしていた「夢」から頂いてます(゜-゜)
2017/06/26
古典になる条件
unreveホームページより。
昔の時代に書かれた本を「古典」と呼びますが
見れば古典という言葉は古いという文字と
「典型」という意味が重なってできています。
典型とは規範となる型、パターンのこと。
つまり古典とは「古いけど変わらないもの」を
書き現した本なんですね。方丈記や源氏物語、
万葉集に徒然草などは昔の歴史的な書物、過去の
概念ではあるんですが同時に歴史ではない部分もある、と。
例えば当時の生活などは今の時代と
まったく違ってます。しかし描かれる
「感情」は今も昔も変わってませんよね。
1000年前だろうと愛する者を失えば悲しみ、嬉しいときには笑う。
そんな感性の根源的なリズムは
まさに「典型的」です。だからこそ
古典は現代であっても我々の心に響くのです。
「君の名は」は古今和歌集をモチーフにした。
我々は生きる時代の影響を避けることができません。
さらに、受け取り方は個人によって全く違います。
ただそんな中、100年前・1000年前の時代に
書かれた言葉が大勢の人の心を打つ。
不思議ですがそれだけ時代を超え、日々新たに
続いていく力を持っているということでしょう。
僕が古典が好きな理由でもあります。
今の時代でもそんな力を持った本が生まれたら良いですね📖
「おまけ」
ちなみに「方丈記」は一般的に鴨長明の
住んでいた家の大きさだったと言われます。
広さは方丈(十尺)、高さは七尺というとても
狭い家に住んでいた、と。
しかしあれば人間の典型を描いているんですな。
長明は人間というものは本能に任せれば
すぐに短絡的な行動をしてしまい災難や事故を
起こしてしまう存在だと考えてたんです。
そういった本性・本音の広さに比べ、
正気という正常な状態は本当に僅かなもので
「方丈」くらいしかない、と。
つまり「まっとうな生き方は確かに
窮屈なものだけど 私はそれが良い」
という、彼がたどり着いた思想でもあるんですよ。
2017/06/24
深夜のつぶやき
気付けば明日で年を取る。
こんな奇妙な人間がよくもまあ
40年も生きてこれたもんです。
この調子で120まで生きますわ(笑)
その日に合わせて起業したんでunreveは7歳。
子育てのような感じで事業をやってますが
こやつも個性を潰すことなく育ってますな。
お蔭さまで親の生計まで立ててくれてます←おい
さて、と。何を書こうかな。
現在、深夜4時29分。
そんなコーヒーを飲みながらのつぶやき。
退屈と言う一種の病気にかかってた30代前半、
何も知らないくせに「人生は無意味」だとか
くだらないと世間を見捨ててたつもりだったけど
実際はこちらの方が見捨てられていたのだな、と
気付くまで結構な時間がかかりました。
喜びとか幸福とか、意味とか価値は
誰かがリボンを付け用意するもんじゃない。
各人各様、自分で見つけ、創っていくもんだってね。
無論それだけじゃないのは言うまでもない。
若い頃は「自分だけで創ってる」と思い込んで
しまうんだけど、謙遜という言葉は単なる
観念じゃない。この実感は何度か痛い目に
合わないと分からないでしょう。
見方を変えればそんな傲慢な精神こそ
若さの特権と言えるんだろうけど、この年になると
そのセリフはちょっと言えなくなりましたね。
あ、ちなみにこれ、説教ではなく個人的な
独白(モノローグ)なんで批判はなしね。
僕は書くことでしか自分を知ることができませんので。
☕☕☕
こうやって「外」に書き現すことで「内」が分かる。
言い方を変えれば表現していかなければ
考えを深く進めていくことはできないんでしょう。
実行だってそう。「即行動」とセカセカやってる
人は考える時間を無駄と言いますが、その行動は
ただ外から強制されているものに従っているに過ぎません。
自己中心、すべてを自分に照らし合わせ
考えることができないから他人の「人生論」や
「幸福論」で間に合わせるんじゃないかしらん。
なるほど。感性や情熱はすぐさま実行に
繋がる反面、いろいろ情報を知ろうすれば
「空想に流されやすい」もの、現代は不安の
時代だと言いますがその言葉は今も昔も
言われてたに違いないでしょう。
「不安な時代だ」と人から言われ、
先回りして勝手に不安になってもしょうがない。
ではそこからどうするか?に注目したいですね。
さて、そろそろ終わろかな。
あ、記念に40歳最後の写真とっとこ。
つかブログ書いてるあいだ、二か所も蚊に刺された( 一一)カユイ
2017/06/22
ハートに刺さる
日帰り、インとーきょ。
個人的に会いたかった方とも会えて満足(゜-゜)♪
今日はもう十分、帰ってすぐ寝よっと(笑)
人との出会いで「魂を揺り動かすなにか」
を感じるときってありますよね。
僕の場合、まさに今回がそうで。
心の奥底で響くもの、気障な言い方すれば
魂の動きを感じたわけです。
何かはしらん。けど何かを植え付けられたな、と(笑)
やがていつか芽生えるでしょう。
その予感がたまらなく楽しみです。
多分に直感の源泉はそういうもの。
真の個性に触れた時や「ホンモノ」に
出会った時も同じような感覚に陥ります。
例えば芸術。
ただ単に見た目がキレイだとか、
タッチが細かくて丁寧だとか、面白いとかではない。
流れ、消費されるものではなく
文字通り植え付けられる、と。
これはもう、自分にしかわかりませんね。
なるほど。
磨くとエッジが立ち、尖ってくる。
そして滑りもまた、良くなってくる。
だからハートにグサッと💘刺さるんでしょうね。
2017/06/21
晩飯中にて。
余裕があるときはGoogleカレンダー
なんか使っちゃうけど最近は
書きなぐり形式のToDoリスト、
ほとんど暗号で僕にしか読めない(笑)
それがババーっと並んでるの見て、
何も考えず、感じず、優先順にやってます。
仙人の境地やな。無ーやで、む。
狭い日本、そんなに急いでどうすんの。
いやいや誰もやってくれないから仕方ねえ。
てなわけで腹減ったから肉たべる。
そういや値段設定って「独自性があれば
高くても大丈夫」とか言うけどホントかいな。
例えば、ラーメン。
最近ちと高いけど一杯500円平均だとする。
そんな中、ある店が一杯1500円で出してきた。
具材はこれこれで、ここにこだわってます。ってね。
極端に言うと、ブランドってこんな
高価格によるイメージ戦略が大半。
逆もまた然り、200円で出す所も出る。
でもその価格が「独自」と言えるのは
市場に500円の商品があったからこそでしょ。
つまり相対として有効であって
絶対(独自)価格じゃない、あくまでも
市場平均価格があってこそ成立するもの。
仮に完全なオンリーワンの独自商品を
作ったと言うならば、こういったベンチマークは
存在してない、って事だよな。
何が言いたいかって言うと、世間の独自性って
必ず相対的指標があるのであって、敵が一切いない
商品(つまりオンリーワン)ってのは逆に
比較対象がないんで売れないんじゃないかなと。
ベースがあるから理解できる。
完全な独創性って、芸術以外ないね。
雪舟の作品がいくらかなんて決めれないもの。
あ、やべ。焼きすぎた
(所要時間13分)
2017/06/20
目に見える価値
こんばんは。
この間の出張の際、スマホを
家に忘れてしまってて丸一日
携帯なしで過ごした坂口です(゜゜)
いやー、ダメですね。
持ってないというだけで心細くなるのは。
でも心細いもんは心細いからしょうがない(笑)
多分に、こんな感じで人の心は変わっていくんでしょう。
と、雑談はこれくらいにして今日のテーマ行きますか。
✍✍
さて、「分かる人には分かる」と言う
言葉は死語になってますが、僕の中では全然現役です。
それば自分のやり方に強いこだわりを持ってて
他の意見を聞き入れない態度゙のことではなく、
大衆や市場に受け入れられるかどうかで
判断するもんじゃないってこと。
技術の追求だってその心自体が価値、
無駄な努力なんかじゃありません。
例えば一流の料理人のやってる技術は
最近の飲食店やチェーン店では必要ないスキルです。
逆にこだわりがある人ほど物足りなく感じるでしょう。
(既製品ばかりで一から作ってませんからね)
しかし「素人にできるか否か」を
料理の価値基準にしたらダメじゃないですか。
伝統工芸だってそう、需要がないからって
それを作る技術が無駄なわけじゃない。
まさに不易流行、
ベートーベンの交響曲全集のCDは
秋元なんちゃらの売ったCDより少ないけど
なんちゃらの方に価値があると言えないでしょ。
ゴッホや宮沢賢治だって認められたのは
没後ですよね。それは彼らの作品の価値が
変わったのではなく、時代の方が変わったわけです。
ゴッホも日本、好きだったね。
一流の職人は何を目指すのかと言えば
素人に認めてもらうことではありません。
一流の人間が満足することです。
プロの料理人はみんなそう。
だから必然的に複雑で、細かく、難しくなるんです。
それを「分からない=価値がない」なんて
言ってる人って「私は浅薄な人間です」と自分で言ってるようなもんだわ。
経営コンサルは「どれだけ価値があっても、
こだわりがあっても発見されなければ
存在しないのと同じ」とか言ってますがね、
「存在しないと価値が無い」なんて意見は
すべてを目に見えるもの(結果)でしか
換算することができない人の世界でしょう。
そのセリフって、追究してる人に対して
失礼な言葉じゃないかな(゜゜)
商人の価値をあんまり押し付けるもんじゃないよね。
2017/06/19
カラ梅雨の6月、告知とかつぶやきとか。。
こんばんは。
梅雨入りしたのに全然雨が降ってない
ここ福岡ですが、みなさまいかがでしょうか。
しかし降らんなあ・・・・忘れとるんかいな。
(゚Д゚;)ハッ
もしや先週「梅雨を吹き飛ばせパーティ」を
満員にしたからか?(考えすぎ)
ちなみに来月もやりますが、それまで
雨が降らなかったら「雨乞いパーティ」になるかもです←儀式か
☂☂☂
そういや最近、新しいサービスとして
「集客漫画チラシ」をはじめてまして、
このあいだラフが完成しました ( ・∀・)=b
街で配ってるチラシ(いわゆるビラ)って、
基本貰わないじゃないですか。
それがポケットティッシュでもサンプルでも
受け取らないのは、端的に「興味がない」んですよね。
だったら印刷経費の無駄でしょ、ってことで
このようなビジビリティのあるチラシを
クライアントさんに提供したわけです。
勧誘と違って、漫画だと思わず読むでしょ、と。
すると思いの外一般の方からも「うちも作って!」
と反響があり、今回サービスに取り入れた次第です(゜゜)
今は大手の社内報でも積極的に漫画は取り入れられてますからね。
現在、値決めしてないんでHPには掲載してません。
リリースはもうちょっと待ってくださいね。
あと手作業なので超限定サービスになります。
興味がある方はメールくださいな。
✒✒
しかしうちが提携してるマキちゃん、
まー天才やわ(*´ω`)ホレボレスル
ヒアリングで僕のイメージをここまで
忠実に再現できるって・・・これもご縁ですね。
2017/06/18
すてきな生活
最近ちょっと無理をし過ぎた感があり
博多のスパでリラックスタイム。
思わず個室のリクライニングソファで寝落ち。
気が付けば4時間寝てました(笑)
写真撮ってないんでサイトから拝借
自慢するわけではないんだけど、
僕みたいな個人でやってる人たちは
スケジュールさえ調整できれば
好きなように時間を作ることができます。
(だから自由業とも言うわけで)
ただ最近、欲張り過ぎた結果時間に
縛られてしまい自由に使える時間がほとんどなかった。
面白いもんで「これじゃ不自由業だ」と
思った途端、身体に疲れが出てきて
やる気もどんどんしぼんでしまったわけです。
そう考えると時間に縛られているってのは
自分でそう思い込んでるだけであって
自らその仕事に打ち込みさえすれば
それは自分で自由に使ってると言えるのかもしらん。
主体と客体、ベルグソンとニュートンの違いですな。
⏰⏰⏰
時間には二種類ある。ひとつは
自分と向き合う内的時間、そしてもう一つは
時計とか終業のベルとかカレンダーっていう
外的(相対)時間です。
僕は内的時間を大切にします。
本来、時間が先にあってそこに人間を
当てはめて仕事をするのではないでしょう。
そんなの学校の時間割りで十分です。
そうではなく我々が時間を使う側だ、と。
分業的、機械的(ロジカル)な仕事に
なるとそう簡単には行きませんが単調で
つまらん仕事でも楽しくやれる工夫が
できるようになりたいですね。
その点、芸術家や小説家のような表現者は
恵まれてると言えます。自分の中にあるものを
表現、発表したいという動機があるんだから。
経営者だって似たようなもの。
故に、それに伴う苦しみや困難には
すすんでぶつかり、求めるように苦しむ、
なぜならそんな産みの苦しみこそ彼らの
生き甲斐であって、そこに歓びがあるのだから。
⏰⏰
無論、そんな苦しいことばかり好んで
やっててもシンドイだけ(笑)
一日中ぼーっとしてたり、何も考えず
遊ぶ時間は大事です。
ただどんな時間でもじっくりと味わう、と。
充実とは行為の内容ではなく向き合う
態度のことでしょう。
瞬間瞬間を自分のものにしている人って、
良い生活してるよね。
2017/06/17
週末は。。。
稲盛さんの成和塾の例会に伴い、
福岡に来てた木脇社長から飲みに誘われ
宮崎出張から帰ってきたその足で博多のグランドハイアットへ。
僕が出張で会えない旨を伝えた際、一日長く
滞在してもらいました。ありがたい限りです。
会食は歩いて数分のところにある炉端焼き
「炉(ひばち)」さんへ。
全部、食べた途中で写真を撮るという(笑)
あ、〆のお茶漬けは大丈夫だった。
しかしまー、ビジネスの話が深い。
深すぎて(良い意味で)勉強になったのかさえ分かんない。
違い過ぎると「負けっか」とか思わなくなりますな。
ただ理解しよう、吸収しようってなる。
結果、酔ってるけど酔ってないという
変な感じになりました(笑)
🍺🍺🍺
払う予定が全部ゴチになってしまったので
こりゃいかんと近くにある中州店でおもてなし。
忙しいコーちゃんをとッ捕まえ、写真撮ってもらう(笑)
「綺麗に取ってね、かっこよくね、夜景映して、立体的に」
「・・・・・注文多すぎっす」
うひゃひゃひゃ
そんな賑やかな週末のヒトコマ(゜-゜)タノシカッタ
2017/06/16
導入期
描くと言われますね。導入期は時間も手間も
かかるけど、認知されれば勝手に成長していく、と。
なるほど納得。これは滑走路を飛び立つ
飛行機にも例えられてますね。
「滑空するまでが大変なんです」って
セリフはコンサルの営業トークです(笑)
ま、FCの導入もそうですけどね←自爆
今までは速度だけを注意してれば良かったのが
高度を見たり燃料をチェックしないといけない。
そんな「あれもこれも」に慣れるまでが大変なんですわ。
良い意味での「見切り発車」って、とても大事。
ビバ!かすり傷 ( ・∀・)=b
「後記」
ちなみに飛行機が飛ぶ理由は翼回りに
空気の循環が生まれ、それによって
揚力が生まれるからみたいですね。よー知らんけど。
なぜ循環が発生するのか? その鍵はの滑走時にある。飛行機が走り始めると、翼回りに循環が自動的に発生する。翼の回りに正の循環が出来たとすると、滑走路には負の循環が残る。これを出発渦と呼ぶ。翼周りの正の循環が揚力の起源だとすれば、出発渦はその副産物である。
おおー、ここにも循環と統合があるやん(・∀・)
もちろん飛ばせる超人もいますが(笑)
小さな会社が大手FCのようなものを
作ろうすれば、大半が挫折してしまうでしょう。
実際、たくさんの方が挫折しましたしね。
人目を気にし過ぎたのか責任感が
強すぎたのかわかりませんけど。
✍✍
導入期は自転車くらいの身軽さで
ちょうど良いと思ってます。鼻歌まじりで
キコキコやれるなら十分です。コケても
そんなに痛くないし(笑)
小さな会社が大手FCのようなものを
作ろうすれば、大半が挫折してしまうでしょう。
実際、たくさんの方が挫折しましたしね。
人目を気にし過ぎたのか責任感が
強すぎたのかわかりませんけど。
✍✍
導入期は自転車くらいの身軽さで
ちょうど良いと思ってます。鼻歌まじりで
キコキコやれるなら十分です。コケても
そんなに痛くないし(笑)
望むと望まざるに拘わらず、それが市場から
求められているものであれば、後から勝手に
エンジンやら翼が生えてたりしていきますよ。
求められているものであれば、後から勝手に
エンジンやら翼が生えてたりしていきますよ。
良い意味での「見切り発車」って、とても大事。
ちなみにうちのFC構築も準備に時間をかけずに
まずやってみて、そこから改良を重ねるという方法を取ってます。
まずやってみて、そこから改良を重ねるという方法を取ってます。
ビバ!かすり傷 ( ・∀・)=b
「後記」
ちなみに飛行機が飛ぶ理由は翼回りに
空気の循環が生まれ、それによって
揚力が生まれるからみたいですね。よー知らんけど。
なぜ循環が発生するのか? その鍵はの滑走時にある。飛行機が走り始めると、翼回りに循環が自動的に発生する。翼の回りに正の循環が出来たとすると、滑走路には負の循環が残る。これを出発渦と呼ぶ。翼周りの正の循環が揚力の起源だとすれば、出発渦はその副産物である。
おおー、ここにも循環と統合があるやん(・∀・)
2017/06/15
随筆
出張先よりスマホで投稿。
さて、予想通り共謀罪法が成立しましたな。
誤解を恐れずに言えば、僕はここに
ある種の「宿命性」を感じます。
無論、デモに参加し抗議することを
否定しているわけではない。参加せず
全く危険のない場所から大衆扇動するような
恥ずかしい真似はできないのだ。
だから僕は黙って引き受ける。
多分に国民の大半がそうではないか。
ある種の「宿命性」を感じます。
無論、デモに参加し抗議することを
否定しているわけではない。参加せず
全く危険のない場所から大衆扇動するような
恥ずかしい真似はできないのだ。
だから僕は黙って引き受ける。
多分に国民の大半がそうではないか。
たとえその事実を望まなかったとしても。
***
「人間が、鳥か獣のように人間から
捕らえられるというのは不気味である」
以前、治安維持法についてそう語った
文士がいた気がする。それが誰だったか
忘れてしまったが今回のそれも似たようなものだろう。
問題は実際的な実害の有無ではない。
そんな見えない蜘蛛の巣が現実に
張り巡らされている、という閉塞感である。
持続された閉塞感は生命力を奪う。
抵抗力、生き抜く力が失われてしまう。
だから活力を得る生き方をするしかない。
たとえそれが宿命だったとしても
そこから「どう工夫するか」、捕らえられるというのは不気味である」
以前、治安維持法についてそう語った
文士がいた気がする。それが誰だったか
忘れてしまったが今回のそれも似たようなものだろう。
問題は実際的な実害の有無ではない。
そんな見えない蜘蛛の巣が現実に
張り巡らされている、という閉塞感である。
持続された閉塞感は生命力を奪う。
抵抗力、生き抜く力が失われてしまう。
だから活力を得る生き方をするしかない。
たとえそれが宿命だったとしても
この部分だけは個人の自由だからね。
2017/06/14
女性のためのフランチャイズ講座
今日は沖縄でとあるお店を
経営されてる方とヒアリング。
HPもなくsnsも使わずブログだけで
全国から予約が殺到。週末の・・・・・は
4ヶ月待ち。アメブロじゃないってとこが良いね。
内容聞いて納得。
これFCになったらシングルマザーや
専業主婦でもリスク無く始められるわ。
さらに言えば地方創生にもなる、と。
いやー面白いなあ。
ここ最近、女性経営者の方とよく話すけど
女性のビジネスってサービスを受けた方が
「やらせてください!」とお願いされてから
FC化を検討する人が多いですね。つまり
加盟希望者が出てきてから作り出す感じ。
だから関係性も非常にフラットだし
何よりも信用があるから志向性は
量的拡大じゃなくて質的向上重視になる。
いいね、とっても僕好み(笑)
やっぱ縦軸(男性的)FCだけじゃダメだね。
横軸、女性のためのFC展開もあって初めて
日本流フランチャイズは完成されると思ふ。
たーての糸はあなたー。
よーこの糸はわーたしー ←酔っ払いか
てなわけでフランチャイジーではなく
ザー。
女性経営者のためのFC本部構築って新しいやん、誰も目を付けてないやん、素敵やん、と思ってます。
2017/06/13
今日の夕飯
今日の夜は佐賀ラーメンのチェーン店
「喰道楽」さん。駐車場にはトラックばかり。
サラダとか、いろいろ食べ放題でした。
満腹、満腹。
つかラーメンって、ホント
場所によって全然違うね(゜゜)ゴチソウサマ
今日のランチ
個人が加盟店として開業する場合も
そうだけど、どれだけ分厚い事業計画書を
作っても大体がプロパーじゃなくてマル保。
でもそれが良いのよ。
こんなこと書くと怒られそうだけど
サービサーに債権譲渡するよか
代位弁済が良い。最悪、・・・・払って・・・やからね。
そんな転ばぬ先の杖の話をしながら
焼肉キングで初ランチ。
熟練経営者の言葉って重みがあるね。
社長曰く、リスクを取ったことないコンサルの
アドバイスなんて、クソの役にも立たないって。
確かに。
説明書見ただけで車の運転できりゃ世話無いわ。
2017/06/12
村中、大騒ぎ
「携帯をトイレに落とした」って話
よく聞くけど、今まで経験がなくて
他人事みたいに思ってました。
でもやっちゃったね、今日。
しかも出先で。
慌てて拾い上げてペーパーで拭いて
ブンブン振り回したあと、おそるおそる見る。
画面は点灯、触ったら動いた。
「助かっ・・・!!」と喜んでたのもつかの間、
徐々に挙動不審になるiPhone。
慌てて電源切ろうとしたら
自らの手で、勝手にオチやがった。
( 〇□〇)オワタ
📱📱📱
やっぱり経験しないとダメすね。
どれだけ情報知ってても、初めてのことだと
ボーゼンとなります。
しかも電話が入ってくる直前の出来事、
さらに数時間後には別件で遅刻できない会議。
「ショップに寄ってたら・・・間に合わん」
そう判断し、ティッシュでスマホを包んだまま
客先へと向かう僕。会議中もスマホの安否ばかり
気になってフワフワした状態だったのは
言うまでもありません
※電話取れず、申し訳ありませんでした。
📱📱
終了後、ダッシュでショップへ。
この時点で17時、水没してからかなりの時間が経過。
渋滞&距離が遠い。
久しぶりにちょっと泣いた(笑)
しかし、そんな致命的な状態にもかかわらず、
なんと復旧!データも無事!
良かったぁ・・・・。
・・・・今日は心理的ダメージがデカすぎ。
もう寝ますおやすみなさい。
2017/06/11
予約投稿で。。。
久しぶりにパソコンでブログ画面を見た(゜゜)
最近、趣味の素潜り(笑)ができず
昔のネタを引っ張り出しては予約投稿という。
思考ログを残すためのブログだから
別にいいけど・・・・自分で見てて、ちっとも面白くないな。
幸せの反対は
「私はよく会食に誘われるがどんなに
美味しい懐石料理も数日食べ続ければ
飽きてきて、お茶漬けが欲しくなる」。
セブンイレブン・ジャパンの前会長、
鈴木敏文氏は著書でこんなことを書いてた。
んなもん、形こそ違えど誰だって経験してて分かってること。
遠足に毎日行けば子供たちも
飽きてくるだろう。夏休みだって
半年あったら学校に行きたくなるもんだ。
仕事一筋だった友人の親父が定年退職した途端
あちこちガタが来てるらしいが、似たようなもんだろう。
幸福の反対は不幸じゃない。
幸せの反対は「退屈」。
楽で怠惰な人生ほど人を
衰弱させるものはないんだけど、
たまにそれを幸せだと勘違いしちゃうね。
2017/06/10
週末のつぶやき
Vincent Willem van Gogh 「悲しむ老人」
年を取った人間を見て老害と言う人はいない。
老師や長老という言葉があるように、道を示し
助言する賢者は大抵が老人だ。
それとは逆にいくつになっても己の頭で
考えず生の知恵も経験もなく
無責任な事ばかりやってる人間、
それを見て我々は老害と呼ぶのだ。
素朴で良いじゃないか、 丸くなった
証拠じゃないかと 反論する人もいるだろう、
中には責任って言葉が押し付けで重いと
言うかもしれない。
誰も押し付けやしない、全て自分の問題である。
✍✍✍
自覚なき思考からはつまらん反省の言葉しか
出てきやしない。なぜならそれは常に断絶、
限定的なものである以上、恥も嘘も喉元を過ぎりゃすぐ忘れてしまう。
長いものにも喜んで巻かれるだろう。
そんな自己欺瞞の正当化が無責任の正体じゃないか。
僕はそう思うね。
反面、自覚は継続する。
理性の奥にある無意識にまで踏み込み、
必然性や偶然性を全て自分ごととすることで
自己の変革を促す、
これを古人は腹を括ると言ってたのではないか。
なるほど。本来の生きた個性からくる自由な
行為は諸刃の剣であって、その必然的欠点は
機械の故障を直すようにはいかないと知っていたのだろう。
✍
反省から自覚や自由は生まれないと思うね。
巷で言われる「気づき」ってやつも嘘だ。
それまで気づかなかった自己を反省すれば
自由になるなんてことはないだろう。ありゃ
形を変えた自己愛だ。
自由を失ってるという烈しい自覚によって
発見に努めるという逆説的行為、その源泉が
一種の喪失感であることは間違いない。
そんな週末の個人的つぶやき。
2017/06/08
加減の定義
小林が生涯貫いた思想を端的に言えば
「中道」と「無私」、いわば統合術と言えるでしょう。
これは妥協(迎合)と似てて非なるもの。
一般的な人の考える「調和」ってのは
対立概念の落としどころを探り、
折り合いをつける(折衷案)イメージですが
本来は「どっちも採用」します。
つまりどちらの力も弱るめことなく
第三の道を創造するという「平衡感覚」。
A案かB案かの二者択一ではなく、A案でも
B案でもない新たな道を掴むんです。
見れば仏教的な側面から多くの人が無私を
無我(自分を無くすこと)と誤解してますが
そうじゃない。本来は自由自在に働く心(感性)を得ること、
A案にも行けてB案にも行けるからこそ
観念は固定されず新しいアイデアを
出せるのであって、氏はそれこそが本来の
創造・創作であると言ってるんですね。
知ってる、分かるものを創るのは創造じゃない。
分からんものを創るから、創造と言うんだ、と。
これを僕は間の概念、加減の定義と言ってます。
最近バランス感覚が中道(中庸)だという
認識が広がってるようだけど、大半が双方の
意見を弱めるものになってる気がします。
なるほど、戦後民主主義の毒を嫌というほど
飲まされてきた状態の「選択の基準価値」は
善か悪か、多いか少ないかといった二者択一へと向かうもの、
根幹ではなく枝葉で判断するから
本質の是非より表面の憎悪が先に来るわけだ。
例えば僕は現政権を嫌いぬいてますし、
首相って性格腐ってんなと思ってるけど
それ(彼)の憎悪が「主語じゃない」。
主語(根幹)は民主主義や立憲主義という
ルールを無視している行為です。だから
誰であってもダメってこと。たとえ尊敬する人であってもね。
それが前提にないと単なる好き嫌いといった
個人攻撃になってしまう。そうなると本人も
「目立てばアンチは増えるもの」とか言い出してしまうでしょう。
いやいや主語はお前さんじゃなくて
やってることの「是非」ですわ。
ワタミも「渡邊さん」批判じゃなくて
「強制労働」や「思想の押し付け」という風土です。
安倍然り、おかしな教祖しかり。
もちろんそれを体現しまき散らしてる
本人が一番悪いんですがね(笑)
✍
個人の価値観的な好き嫌いが先行すると
倫理的な是非の判断ができなくなる。
だから個人の価値観をまず疑い
捨てる(無私)のであって、
小林はそこで初めて批評できると言ったんですね。
間違ってるのはどっち?
今日は朝から銀行。
その後、クライアントさんと業者の
打ち合わせの席に参加。
最近、事業説明するときとかプレゼンするとき
相手を見ずにタブレットばかり見せられてるなあと
思う、今日この頃(゜゜)
中には会う必要なくね?と思っちゃう人も。
属人的なものを排除しているから分かりやすいけど
なんだかなぁ、って感じです。
そういや手塚治虫さんは火の鳥って作品の中で
人工知能について描いてましたな。
国のやることすべてを巨大コンピュータに
判断させていたらコンピュータ同士の判断が分かれ、
最終的には核戦争になっちゃった、と。
これは暴走か、それとも正しい判断か。
たとえば人工知能によって僕の強みはこれこれが
一番適正で、これこれの道に進むのが一番良いと
判断されたとする、
でも僕はそれと逆のもの、人工知能からすれば
一番の「悪手」が好きで違う道に進みたいと思ってたとする。
その場合、暴走してるのはどっちでしょうな。
僕の感性か?それともAIの理性か?
そんな愚問を考えながら
ビックリドンキーで早めのお昼(笑)
「ハンバーグとポテトが食べたい!」
という判断は今月41歳になろうとする
中年男性の健康管理上、正しいのかね(笑)
梅雨入り
先日福岡が梅雨入りし、
小雨の降る中、訪問先へ。
いつも終了後に社長と雑談するんだけど
最近はそそくさと帰っちゃってて、
「最近忙しいみたいですね」とか
「彼女でもできましたか」とか言われてまう(。-∀-)イヤミカ
「できました(ドヤ)」って言いたいんですがね。
どうやら浮いた話のないまま、誕生日を迎えそうです。
この日は朝から何も食べて
なかったんで夕方「かつや」さんで食事。
別業態として加盟してるクライアントさんが
いますがそこは全国FC中トップ10に入る
繁盛店。年商も大台(億)近い。
最初は(FC展開)失敗したけど、
損益分岐下げてから急成長しましたね。
色々勉強になります。
サイドメニューの惣菜が美味いんだよなー。
来たら絶対頼んじゃう。
(唐揚げとコロッケが定番)
ランチは浜勝さんが強いけど、
夜でもこのコスパって魅力的ですね。
2017/06/06
今日の晩酌
スーパーで買ってきた刺身で晩酌🍶
ちょっと面倒だけど、刺身はトレーのまま
食べるんじゃなくて、絶対皿に移した方が良いと思うぞ。
食べるんじゃなくて、絶対皿に移した方が良いと思うぞ。
ちなみに刺身を買う時は地元のスーパー。
どれもすごい新鮮なのよ。
肉も惣菜もまー、んまい。
どれもすごい新鮮なのよ。
肉も惣菜もまー、んまい。
近くに大手のディスカウント
スーパーがあるけど客数はこっちが圧勝してますな。
くそ自由
「もう頑張らなくてもいいんだよ」と、
今の自分を肯定してやることが巷の
セラピー?みたいだけど、それ見て
親鸞の悪人正機を思い出す今日この頃。
あの時代もすんごい間違えた。最近(?)では
吉本隆明もそう。悪いことやっても良い、
凡夫(欲望に生きてる人)でも往生するから求道しなくて良いってね。
「できない自分の肯定」ってそれと
似たようなもんで、自分をおとしめ、
卑下した言葉であるものを無理矢理
肯定してるだけじゃないかしらん。
どうせ私には無理だ、ダメだと言う反面、
「でもそれが私だし、それでも愛される」
という呪術的な肯定ね。なるほど、
安倍夫妻はこの幻想にハマってるわけだ。
煩わしいことを全部拒絶し、
自分のやってることに疑いを持たない、と。
それで生きていけるなら大したもんだ。
いい年した大人や経営者が無責任に
「人間は自由!あなたは自由に生きて良いの!」
と言って、それを聞いて思考停止した信者が
「嫌われても良い!私は自由に生きるんだ!」って
言ってるのを見ると、吐き気すんね。
と言って、それを聞いて思考停止した信者が
「嫌われても良い!私は自由に生きるんだ!」って
言ってるのを見ると、吐き気すんね。
だったら
DV男の「俺の暴力の自由を保障しろ!」や
詐欺師の「人を騙す自由を保障しろ!」は正しいのか、ってね。
ここで「善悪なんてないのよ!」とか言い出したらアウト。
「良識ある大人」ってやつの概念自体が崩壊しますわ。
✍✍
迷いもするし不安になるのはここで「善悪なんてないのよ!」とか言い出したらアウト。
「良識ある大人」ってやつの概念自体が崩壊しますわ。
✍✍
当たり前の事。僕だって今の自分が未熟な
クソ野郎だと自覚してる。迷うのは日常茶飯。
でも逆説的言えば「だからこそ」煩わしいことを
受け入れる理由になるわけで。さっきの例で言えば
凡夫だからこそ求道するんじゃないのかしらん。
そんな個人的な意見。
2017/06/05
経営ビジョンと日本刀
今日はリゾーム派生組織の上級編。
さて、当事務所は理念を大事にしてますが
よく言われる「明確なビジョン」はそこまで
気にしていません。むしろ逆である程度の
余白、あそびがあった方が良いという考えです。
もちろん経営ビジョン(将来像)を明確に
するのはとても大事なことですしそれによって
具体的なプロセスが計画されていくわけですけど
あまりにも明確過ぎるとマニュアルを押し付けるような
感じになってしまうんですね。
なぜなら明確で鮮明なビジョンってのは
言い方を変えれば「全てが決定されてる」
ってことでもあるから。悲しいかな経営者の
ビジョンが鮮明であればあるほど自由度を奪っちゃう。
そうなると当然、積極的に意見を出せる風土は
「うちの社長、独裁だよな」みたいな愚痴を
言ってるじゃないですか。あれって仕事に
「あそび」がないことで起こってるんです。
では逆に、経営者が全くビジョンを
持ってない、持ってても社員に伝えない場合は
どうなるかと言うと、今度はその「曖昧さ」にツッコミが入ります(笑)
「また社長の気まぐれの思い付きがはじまったよ~」ってね。
結局何が言いたいのかっていうと
ビジョンって明確になり過ぎてもダメだし、
曖昧過ぎてもダメと言うジレンマ(矛盾)を抱えているということ。
だから青写真なんです。
✍✍
ちなみにこれをなぜ日本流に取り入れて
いるかと言うと、これって日本刀の製造過程に
すごい似てるから。刀の技術って加減の技術と
言ってもいいくらいです。
いるかと言うと、これって日本刀の製造過程に
すごい似てるから。刀の技術って加減の技術と
言ってもいいくらいです。
知ってる方もいるでしょうが日本刀は
「硬と柔」の極めて矛盾した性質を兼ね備えてます。
「硬と柔」の極めて矛盾した性質を兼ね備えてます。
鉄を鍛えると鉄分の純度は髙くなるけれど炭素を
出しきってしまうと柔らかくなってしまう、
出しきってしまうと柔らかくなってしまう、
そこで鉄の焼き入れ時の水加減によってその
相反するものを統合しているんですね。
(詳しくはgoogle先生に聞いてね!)
だから刀鍛冶にとって水加減というのは
非常に大事なもので、門外不出の秘伝だったんですな。
だから刀鍛冶にとって水加減というのは
非常に大事なもので、門外不出の秘伝だったんですな。
「後記」
論理哲学論考で言語の限界が世界限界である事を
全く新しい角度で説明しました。
それは語られず、示されている。
それは「示す」ことで世界を認識し、理解することでもありますね。
虹をいくら見つめても
虹が出てくる原因なんて掴めませんよ(゜゜)と。
2017/06/04
私有自楽、個人の文化
「一見不合理にえ見てもそれが
精神の安らぎを与えるもの、それが文化だ」
司馬遼太郎はそう言ってますが同意。
我々は合理的に生きていけないもんだ。
例えば体に悪いものである酒や砂糖が
無性に欲しくなる時あるじゃないですか。
タバコだってそう、どんどん吸える場所が
なくなって肩身が狭いけど
僕は吸うね。依存してるようでダサいとか
煙が臭いとか言われてもアイコスは吸わない(笑)
酒とタバコは人生の友、時代が変わった
からと言ってそうやすやすと別れられませんな。🚬
最初は宗教行事に使われ、それが貴族の
嗜好品になったタバコは日本へ輸入され、
江戸の庶民文化に欠かせないものとなりました。
輸入された文化がこれだけ広がったのは
タバコが宗教的な理由(紫煙文化)ではなく
この国の「間の文化」と合致したからでしょう。
一服の時間は来客の雰囲気を和ませることから
会話、社交の場で非常に重宝したわけです。
(あと粋の文化ね)
つまりタバコを吸うことで「間がもたない」
時間のワンクッションになった、と。
なるほど。インディアン同士が和約を結ぶ際も
儀式にパイプが吸ってますわな。🚬
「百害、利なし」が文化になるわけがない。
僕は医者が言う癌のリスクよりも時代を超えて
文化を紡いできたという事実の方を信じるね。
あくまでも個人的な意見やけど。
ただ当時の文士たちは吸い過ぎ(笑)
2017/06/03
現場にて。。
鹿児島から帰りそのまま店舗へ
なんかバイト時代を思い出しますな。
たくさんお花もろた。
店内からの夜景をチラ見せ。
お客さんにも好評で、写メって頂いてます(^-^)
ちなみに明日はご近所回りと面接二名。
とりあえず後は片腕君に任せて上がります。お疲れ様でした(。-_-。)眠い