日本流というアイデンティティ、
君が代、日の丸、ジャパンイズム。
スシ、ゲイシャ、ニンジャ。
オーケー、ニホンゴ、チョットチョットわかります。
さてさて、日本流などと書くと言われるのが
「あなた、右なの?左なの?」というもの(笑)
あらら、それって翼ですか。
翼君のことですかね。
(゜゜) フム
僕は日本流という心性こそ、大事にすれど、
そういった観念というものが全くないんですわ。
僕なりの日本の精神が好きであって、
これが日本国家だと言われると、正直よくわからない。
当然、お国の為に死ぬ気などない。
200%、さらっさら、ない。
ちょっと真面目に説明すれば、
愛国心というものは、国家を愛すことです。
しかしこの国家というものが観念である以上、
頭の中にある共同幻想、フィクションなわけでしょう。
フィクションを愛せ、というのは
二次元の女性を愛せ、と言ってるようなもの。
「どこにあるの?」と言われたら、
はて、どこにあるのか。答えられない。
そこで「空気読めよ」となるわけだ。
そんな同調圧力によって、王様は裸ではなくなる。
国民もそう。一体誰を指しているのか。
誰も答えられません。
つまり「僕らって同じだよね」と思わせ、
イデオロギーが通過しやすいように
集団化させるための概念なわけでしょう。
スピリチュアルの言う「ワンネス」など、
特定の恣意がない以上、特に害はないので
放っておいてもいいのでしょうが、
これが一つの志向性を持つと、
何をしでかすか、わからない。
否、冒頭を見れば分かりますよね。
国を愛するもの同士が右と左に分かれ、
喧嘩するんですよ。
反面、伝統や文化というこの国の言語から
形成された歴史というものは幻想ではありません。
つまり現実に存在する、確かなもの。
だから愛せるし、大事にしたいと思いますが、
国家とはいったい、何を指すのか。
読者のみなさん、「国家とか何か」、答えられますか?
人工的に秩序を形成し、富の再分配を行う機関?
それ、やってますかね。実際。
そもそも、そんな「方法」をどう愛せと?
☞☞
その点、アメリカや中国などは人工的な
観念国家である以上、確固たる国家論もあるでしょう。
だから中国の故事成語には完璧があり、
アメリカには統一宗教があるのです。
なるほど、我の強い国ほど他人の
意見を聞き入れず、強く否認してしまうのは、
逆に整合性のある話を「作り上げてでも」
一つの世界を維持しようとする、やむにやまれない
心性の裏返しなのでしょう。
☞☞
しかーし、この国はそうじゃない。
一つの正義を目指す独裁者や、
完璧な秩序が馴染まない心性なのです。
この国は八百万。
あらゆるもの(多)に神性(一)を見ます。
さらに未完の美、余白の美がある
空白や余白をあえて作り、遊びや揺らぎをもたせているのです。
そういや、ツァイガルニック効果は
「人は完成したものより、未完成を好む」というものですが、
多分に、完成という概念自体が
同時に「崩壊」を内包しているのを
無意識的に感じているからかもしれません。
我々には、到達できないゴールの設定と、
到達できる地点の両方が必要なんでしょうね。
あっ、ちなみに冒頭の答えは「両手」です。
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