現在、世界中の経営者が使っている言葉に
「VUCA(ブカ)」というものがあります。
それは今の世界概念である Volatility(変動) 、Uncertainty(不確実) 、Complexity(複雑) 、Ambiguity(曖昧) の頭文字をとったもの。
端的に言えば「先が読めない時代」ですが、
我々日本人はそんな変化流動の世界こそ実相だと
無意識的に感じています。
それがこの国の根幹にある思想である「無常感」、
全てのものは移り変わっていく、
そんな成り行きの様を「そのまま」受け止めていたのです。
それは自力ではどうにもできない。
なぜなら「自ら」の他に「自ずから」派生する「ナニカ」がある、と。
そう思っていたんですね。
例えば、「どうせ」という言葉がありますが、
この「どうせ」とは未来(結果)の先取りのこと。
有るものはやがて無くなり、
栄えたものはもれなく衰える。
なぜだかは知らないけれど、そう「成る」。
そんな必然的な移ろい、無常観を
消極的に捉えたものが「どうせ」です。
今日はVUCAを達観する日本流について。
無から生じたものが元の場所へ戻った。
それだけのことだ。
村上春樹の小説(何だったかな)に
確かこういった言葉があったのですが、
まさにこういったことでしょう。
ここでよく勘違いされるのが
「無常観とは虚無思想(ニヒリズム)」という見方です。
西洋では特にそう思う人が多い。
無秩序で混沌だと勘違いしまいます。
故に西洋哲学は考えることで無常の
奥にある「分からないもの」を捉えようとし、
宗教では、そんな無常を語る事で、浄土という永遠の「常」を求めたのですが、これは一種の現実否定。
本来、我々はここからの「現実肯定」によって
陽気さ、明るさ、そして驚きと感動があったのです。
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「つぎつぎになりゆく、いきほひ」、
丸山眞男はこの移ろうという「あり方」が
同時に「次々」に「成り行く」勢いでもあり、
日本人はそんな流れゆく状態を肯定した
独自の精神がある、としています。
「春は、夏は」と移ろう無常を語りながらも、
そこに恒常的に循環した自然のリズムを捉える。
変化を語ることで常と成る。
真理が持つ両義性がここにあります。
ん。
長くなりましたので続きます。
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