ども。unreveのグッさんです^^
今、雪を見ながらブログ書いてます。
こう書くと、なんだかカッコいい感じですが。
こんな感じデス(笑)
ハア・・・春はまだですかね。
☞☞
さて、今年は伊勢神宮と出雲大社の遷宮が同じという
珍しい年でもあります。
遷宮(せんぐう)とは簡単に書くと「新築移転」、
修理とか新築する時、一時的に神体を移動します。
定期的に遷宮することを式年遷宮といい、
この行事で古いもの全てを取り壊し、また新しいものに変える、といったものです。
ちなみに寛文7年、出雲大社は朱塗りの旧本殿から、
白木の新本殿へ。
この遷宮により出雲大社からは仏教色が取り払われ、
また、周辺の地域でも仏教施設が取り除かれてます。
そこから出雲大社周辺が
「神道之地」と呼ばれるようになったんですね。
つまり「思想ごと変えちゃおうよ」と。
考えたら一大行事ですね。
さて我が国には、このように破壊と再生を繰り返しながら
永続的に世界が続く、弥栄(いさかや)の概念があります。
宇宙には始まりもなく、終わりもない。
ただただ弥栄に栄えていくのみ、と。
元来、日本人には「終焉」といった言葉がなかったんですね^^
「終わりが無い」という事が終わりの答えだ、と。
ただ、その流れの中には大きな転換期があって、
それが巷で言われる「パラダイムシフト」なのかもしれませんね。
冒頭の遷宮だけに限らず、
今は大きな「転換期」だというのは間違いないです。
昨年の冬至はマヤ歴で終焉だと言われてましたが、
人類滅亡ではありませんでした。
そのせいでネットを始め各国でも一時パニックになったり
買占めが起こりました。
(ノアの箱舟みたいなやつも売りだされてましたね)
若い世代の中には逆にそれを望んでたり。
言いかえると破壊の後の再生を期待していたのかもしれません。
個人的にはマヤ歴って、世界の「転換期」を指していると思うんです。
遷宮のように「ガラリと全く変わる時代の節目」である、と。
オカルティズムに傾倒するわけではないのですが、
新しい時代、すでにシフトしているのではないでしょうか。
だとすれば、これからの時代の変化、
とっても楽しみじゃないですか^^?
完全な利他へのシフトとは思えませんが、
今年は今までの非常識が、常識になる気がしてならないんですね。
ただ、おかしな思想や説法が蔓延っている感は拭えません、
自分の目も養わないといけないな、と改めて感じます。
次回、これについて、
個人的な考察を書こうと思います^^
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