2015/01/06

自己組織化について

教えてないのに自然に秩序がうまれてくることを「自己組織化」という。
自己組織化は現在、多くの企業が取り組んでいる。


私の提唱するFC構造は自己組織、リゾームである。
リゾームといってもただの根っこではない。
各人の目的達成があり、例えるならば「種イモ」のようなイメージである。



さて、私が取り組もうとしている「リゾーム組織構築プログラム」の抱える問題は、
現状、この産業がないに等しいということである。


つまり、製品化にもできないので利用者がいない。
利用者がいない為市場は掴めないし、収益構造だって生まれない。



まるで荒れ地を耕す移民のようである(笑)
ただ、好きでやっているのでこれはビジネスというよりも普及活動に近いかもしれない。



ハイポニカのトマトよろしく、私の想像したように種イモは勝手に育つのだろうか?


そんなこんなで今回のテーマ。


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さて、自由な環境でこそ自主的な秩序は生まれるのだが、
それは官僚主義の組織では、ほぼ不可能だ。


力が中央に集権化されるとき、
そこには奴隷制度とほとんど等しい状態が出現してしまう。


だからといって集権化が絶対的に悪いのではない。
要は集権化された場合、その権力の取り扱い方なのだ。


自己組織化は取り扱いが難しい、
なぜならキッチリと厳密に定義できない。


歴史を見れば、自由主義という名を借りた社会主義にすぎず、
現在の日本でも、人が人を監視するという全体主義へと向かっている。


これでは一昔前の「村社会」と変わらない
自由の脅威とは、監視者の裁きすら自由だという事だ。


私は、それを防ぐためにルール(規律)を作る必要があると考えた。
それ以外である、状況や環境に依存する全ては、個人の自由に任せるといったものだ。


ただ、ここからが問題である。
リテラシーレベルはあまりにも多様なのだ。


ちなみにドゥルーズは多様性について以下の5つを倫理とした。


・自分の遺伝子を発現させすぎない
・他者と共にある自分を発現させすぎない
・他者を発現させすぎない
・発言したもの全てを世界に住まわせる
・私達の世界を多様にする


この5つだけが倫理的な愛であるとされる。
一般的な愛の概念とは違う、全てを受け入れはするが、
自分や他人を「発現させすぎない」というのだ。



つぎに以下の条件を見てみよう。
これは渡り鳥の自己組織化に関するプログラム(枠)だと言われている。


・近づき過ぎない
・離れ過ぎない
・同じ方向を向く


渡り鳥の秩序はたったこれだけ、とても分かりやすい。
秩序を維持するにはシンプルであればあるほど良いのかもしれない。



上記ルールは抽象的ルールである。
逆を言えば秩序の抽象的側面にのみ力を発揮するのであって、
具体的な側面については力を持たないのだ。



それは時々、個々のケースによって変わるもの。
状況によって当てはめる事で初めて効果を発することが前提である。



つまり厳密かつ具体的な条項を規定せず、抽象性を重視するのだ。



ほどほどに合わせ(抽象的集合)、ほどほどに揃える(抽象的秩序)。
この抽象的な概念が科学や数式では絶対に定義できない「状態の定義」であり、
発現させ過ぎないというドゥルーズの多様性の概念である。



ここで「例外処理や対応はどうするか?」という課題が生まれる。
概念的な大まかな枠である以上、何が正解か分からず混乱する恐れがある。



よってヒューリスティック(自己発見学習)的に蓄積させるという事が必要である、
包摂アーキテクチャと書くと機械的だと批判されそうだが、
抽象概念であるリゾームを理解する為にちょっと触れておこう。




包摂アーキテクチャは、複雑な知的振る舞いを多数の「単純」な振る舞いモジュールに分割し、振る舞いのモジュールの階層構造を構築する。各層は何らかの目的に沿った実装であり、上位層に行くに従ってより抽象的になる。各層の目的は下位層の目的を包含している。例えば、食物-食事層による前進行動という決定は、最も低レベルな障害-逃避層の決定でもある。それまでのAIの技法とは異なり、包摂アーキテクチャではボトムアップ設計を採用する。

例えば、ロボットが持つ最下位層として「物体を避ける」という振る舞いがあり、その上位層として「うろつきまわる」という振る舞いがあり、そのさらに上位に「世界を探索する」という振る舞いがある。このような階層の最上位にあるのはそのロボットの究極の目的である「地図を作成する」という振る舞いかもしれない。各層は全センサーのデータを参照でき、アクチュエータを操作できる。ただし、他のタスクが入力を横取りしたり、出力を上書きしたりすることもある。この場合、下位層は高速な適応機構(反射)に相当し、上位層は本来の目的に沿って行動を導く制御を行う。フィードバックは主に環境を通して与えられる


��wikiより引用)



ここで重要な点は「フィードバックは主に環境を通して与えられる」という部分。
つまり先に設計図が書けない性質がリゾームなので常に流動させる必要があるのだ。



そのプロセスで学習するという「プロセスからのスタート」がリゾームである。
ピンと来ないかもしれないが、やりながら目的を掴む、という事だ。



そこではいくつかの「トリガー」が必要となる。
その一つがHPやこのブログにも書いているフィロソフィー、経営哲学だ。



もちろんそれだけではない、そこにはビジュアル化できない
「枠や間や拍子」、「適度な距離感」もある。



このように、概念を見えない暗黙知として広げるだけでなく、
最小公約数の認識をいかに可視化させるかが重要である。



googleを始め、facebookやウィキペディア、
アップルストアは全てリゾーム式である。



グーグルの企業価値は時価総額約12兆円以上、
さらに社員数が2万人と少ないことから、従業員一人あたり時価総額は6億円(!?)である



ちなみにアップルは約5億円、日本のトヨタは約3000万である。
端的に言えば、リゾームはツリーの何十倍ものポテンシャルを秘めているのだ。




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現在の人材マネジメントや組織マネジメントのコンサルタントは
既存のツリー組織においては優秀な成果を与えてくれるかもしれない。




しかしツリーはいつになってもツリーであって、自然と変わるものではない。
新しい組織を構築する為には一度、全部チャラパーにする必要があるのだ。



我々が考えるべきは、やって失敗するリスクと、やらずにいることのデメリット、
どちらのほうが大きいのか?ということだろう。

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