「動きすぎてはいけない」をamazonで購入しました。
- 動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学/河出書房新社
- ¥2,625
- Amazon.co.jp
サブタイトルはリゾームの生みの親である
ジル・ドゥルーズ。
内容紹介にはこう書かれています。
もっと動けばもっとよくなる
もっともっとつながりたい
……動きすぎ、関係しすぎて、ついには身動きがとれなくなった世界でいかに生きるか。待望のドゥルーズ入門。
なるほど、過剰接続と言われる
SNS社会の警告でもあるようです。
(まだ届いてないんですよね)
今日はそんな繋がりについての小話を。
さて、人類がまだ農耕をしらない時代では祖先を同じと信じる者同士が寄り集まり、部族を形成したと言われます。
男は狩猟、女は採取。共通項の神話や伝承があり、象徴や紋章を結集の証として、同族意識を高めました。これは今もなお、未開の地に住む遊牧民に見る事ができます。
やがて文明が生まれ、農耕が伝わります。農耕の起源はいくつも諸説があるのでここでは省きますが、それによって共同体の形態が一変します。
今まで血縁をモニュメントで色濃く繋いでいたのが、それよりも同じ土地を耕す者同士を結ぶ「地縁」が重要になったのです。
それは形而上とも言える「創作的繋がり」から、生産手段としての「合理的繋がり」という、形而下での結合。
農耕社会はこうやって「場所的な繋がり」を色濃くし、排他性を持ちます。それがいわゆる「村社会」です。
なるほど、「水は血よりも濃い」という言葉は
土地と水利を守っていた時代を象徴していますね。
そこから産業革命により血縁や地縁に縛られた人達は解放されました。否、崩壊と言うべきでしょう。マルクスのいう「何物をも持たないという意味で自由な労働者」です。
ただ、我々は経済だけで繋がるほど強くありません。物質や労働力の交換とは違う「共有意識」が必要です。それが血縁や地縁に代わる新しい縁(職縁)なんですね。単なる労働交換の場ではなく、公私が入り混じった共同体です。
これが一番馴染んだ(?)のがこの国だと言われます。なぜなら、この国には宗教意識が非常に薄い事が考えられます。また民族性が単一に等しく、人種差別もない。話す言語も(方言はありますが)共通です。
多くの人が都市部へ向かった高度経済成長期には
地縁も血縁も、あっという間に崩壊したんですね。
逆を言えば拠り所にする場が「職縁」のみ、となったのです。
昔、「24時間働けますか」というコピーがありました。サラリーマンが仕事熱心なのは企業への忠誠心や勤勉気質だけではありません。それは職場と言う共同体に「安心感」を求めているのです。
帰省ラッシュの様子
ただ最近のリストラや倒産、企業30年説を見ればこの「職縁」も崩壊しようとしています。だからでしょう、冒頭のような「過剰接続」は無意識的に、どこかに安心感を求めているような気がします。
現在、そのどこか(インフラ)がないまま
SNSによって「繋がる」インフラが先に作られています。
そこで生まれたのは緩やかな「全体主義」かもしれません。
もっと動けばもっとよくなる
もっともっとつながりたい
動きすぎ、関係しすぎて、
ついには身動きがとれなくなった世界でいかに生きるか
昔は「しょーがない奴だな」で片付いていたのですが、
批判、吊るし上げ、炎上は日常茶飯事です。
自由に縁を生み出せるツールも
場合によっては監視・管理の手段となります。
適度な距離感(ほどほど)が一番難しい。
それは、安心できる拠り所がないまま繋がることで起こる
一種のジレンマなのかもしれません。
新しいインフラは何でしょう。
僕らを縛るもののない共同体は何でしょう。
それを提示する為にも多様を認め合うリゾーム派生を考えてたりします。
0 件のコメント:
コメントを投稿